「どんな(逆境の)環境にも慣れ、人間の『素質』を
高め、心を強くしていくことが重要である」

 “人生”というのは誰一人として同じではなく、浮き沈みがあり、成功もあれば失敗もあります。この世の中に生まれてきて、誰もが経験することです。
 人生を左右してしまう要因として、「環境」によるものがあります。どんな時代か?場所はどこか?家族は?などの「社会環境」や災害や気候などの「自然環境」により、それぞれの人生に影響を与えます。

 私(秦西平)自身のこれまでの人生体験を述べますと、様々な「環境」面からの影響が受けましたから、人生におけるその重要性は高いと思います。しかしそれ以上に、それらを乗り越える力があるかどうかという『人間の素質』に掛かる部分がもっと重要であり、また心を強くしていけるかが、大きくその後の人生を左右したものでありました。
 多くの皆さんは、私の生い立ちや少林寺においての修業時代についてご存知だと思いますが、少しお話いたしましょう。私は少林寺で数々の厳しい修業をし、少林寺武術の基本動作、各種の技、また気功術や武術理論、さらに人間性、すべての面において高いレベルに到達したと当時の釋行正管長に評価して頂き、22歳で「嵩山少林寺第34代継承者最高師範」になりました。私の場合、少林寺との“縁”により、少林寺気功や武術を学び、すべてを習得して、以上のような成果を収めることができました。少林寺の延開師に見い出して頂き、入門が許され、少林寺気功や武術の修業ができる環境に身をおくことができたことは、人生の岐路であったし、その後の人生を変える大きな要因でありました。

 ただし、現実はまるで映画「少林寺」のような物語ではなく、簡単に技を習得して誰もが師範となるような道のりであるはずがありません。実は少林寺に入門し、修業をしていく人々の中で、その多くは中途半端になり継続できずに辞めていく人たち、あるいはレベルが低く自ら辞めていく人や少林寺側から辞めさせられる人などもいるのです。その続けられない原因としては、「少林寺の十戒」を守ることなど厳しい規則や生活の条件などが守れない、また修業に耐えられないなどの理由からによるものです。このように本人の素質が無ければ、せっかく少林寺で修業できる機会を得られても、継続していくことはできないでしょう。
 私は少林寺から、すばらしい機会を与えられて修業できたことに、少林寺に対して非常に感謝しています。私の場合、なぜ厳しい修業にも耐えて継続ができ、高いレベルまで到達できたかというと、やはり少林寺に入門する以前の人生の様々な経験が役に立っていたと実感しています。その生い立ちが修業を続けていくことのできる「基礎となる土台」になったのだと思います。

 私の少年期から青年期にかけては、中国が大きく変動していく激動の時代でした。小学2年生の時から「文化大革命」が始まりました。これは中国の政治的環境が変わるという大きな革命でした。成長期の自分には、とても影響を与えるものでありました。当時、まだ小学生(低学年)でしたから、そんな状況から逃げ出すこともできませんでした。まさにそんな時(小学2年生の時)、学年全員の中から、私は優秀生の代表として選ばれました。しかし選考時の書類の記入すべき欄に“出身”を記載するところがありましたが、よく見ると私の出身ではなく、父親と祖父(父の父)の出身をそれぞれ記入する必要があったのです。共産党に変わる中、その家庭の過去を調査するためのことであり、私の親の出身を確認するためでした。実は、私の家庭は文化大革命にとって、迫害を受ける出身でありました。そのため、せっかく代表として選ばれたのにも係わらず、用紙に記入する段階でそういう事実があったため、私の優秀生という話はなくなりました。また紅衛兵や造反派から攻撃される中、私の家庭がその対象となる組織の一員だったということで、名誉がはく奪されたのです。
いくら学校で勉強の成績と行動などの評価が良く、トップだとしても、本人の記録等はすべて削除されてしまったのです。こんな時代だとは言っても、まだ子供の時ですから、(想像できないと思いますが)理解できず辛いことでありました。しかし、こういう“逆境”という環境であったからこそ、心を強くすることができました。様々な逆境が困難を乗り越える力を育ててくれました。
 私は小さい頃から多くの逆境を経験しましたが、自然に訓練されていったこともあり、次第にこういう環境に慣れて心を強くすることが大事だということも教わりました。ですから自ら厳しい環境を作り、慣らすことも重要です。私も強い度胸や決心力、さらに意志力が育てられました。

 さらに文化大革命の混乱のさなか、小学3年生の時に重い肺結核を患ってしまいました。中国では肺結核はまだまだ“死に至る病”でありました。現在、本の西洋医療は発展し、世界の最先端の技術力を持っていますから、今は“死の恐怖”と感じることはないと思いますが、当時の中国は違います。学校も半年ぐらい休んで入院して集中治療を受けましたが、とても辛いものでした。重い病と闘うという経験もしたわけですが、わが家では家事をやり始めました。饅頭(マントウ)は、私が家族の分まで作りました。また手打ちうどんなども作ったりしました。
 また身体を鍛えるために、朝は4時30分に起き、練功などのトレーニング
を毎日実践しました。そのため弱かった体は見る見るうちに強くなり、鍛えられました。
 さらに毛沢東の「上山下郷(シャンシャンシアシャン)」の方針(都市の青少年が16歳になったら、農村に行って労働を従事するという政策の一つ)により、私も農村で3年間働きました。この頃はすでに少林寺に入門して修業もしておりましたから、働きながら修業をしていたのです。もちろん朝晩のトレーニングも欠かさず行っていました。常に自分に厳しく、辛いと思えるような逆境の環境を作ること、そして慣れることが大事であり、自分を成長させていくことが出来て、次につながっていくのです。
 
 大人になり、中国内での仕事から環境が異なる日本での仕事に変わるという
経験をしまして、今に至っております。中国での最初の勤務先は、宝鶏市内で一番汚く、そして誰も行きたくないと言われた工場でした。なぜ、あえてそんな風に言われるような環境で仕事をしたかというと、その工場が抱えている問題や経営赤字、また技術力の開発、さらに工員勤務の効率化など解決すべきことがたくさんある仕事場であったため、逆にやりがいがあると判断したためでした。実際、多くの改善策や問題の解決、さらに体制の見直しなど多くの実績を出し、経営も黒字にさせることができました。そういう逆境に打ち勝つ自分を作って、そして乗り越えたことにより、ここ、日本に渡る機会につながったのだと思います。
 
 皆さん、「人間の素質」は変えることが出来るのです。当協会に入会した方の中にも「自分を変えるため」という志で、練習している人も多いのです。しかし入会時には、最低限の素質は持っていなければなりません。たとえば、入会したら、きちんと最後まで継続して行っていくとか、各教室において進めていく内容をしっかり練習することです。授業では「新気功理論」の説明などの内容も理解することが少林寺気功を習得する上での「基本」であり、しっかり学ぶことが大切です。
さらに当協会が推奨することとして、「社会貢献の活動」を実践していくことが大事です。
 少林寺気功や武術の技を体得するためには、しっかりそれらの動きを覚えることと基本的なこと(きちんと継続する心、学ぶ姿勢、ボランティア精神など)をしていきながら、自らの素質を変えていかなければなりません。コップの中にすでにいっぱいの水が入っていて、もう入れることが出来ないというような状況の中にせず、技の体得と併せて実践していきましょう。

 どうぞ逆境にも自ら飛び込み、どんな環境にも慣れ、素質を高め、心を強くしていきましょう。