「心」については、長年の間、様々な方面(分野)から表現され、研究、分析されています。古くから中国の伝統文化からの表現、近代に入って西洋(医学、精神医学、心理学など)の学術的表現、さらに現代では、日本でも「心」または「精神」について、理論家や専門家より、多くのことが解き明かされています。
 しかし「心」のことは、三千年も前に中医学(漢方)において、“人体科学”の中で、すでに表現されていました。この人体科学の基準は、人間の身体は「五行」に合わせて、「五臓」が決まりました。まず五行の哲学より、また宇宙観(世界のものすべては、5つのものから構成されている。)により、発想されました。この5つのものとは「木」、「火」、「土」、「金」、そして「水」を差します。これらのものから生まれたものと、人間の身体の中の5つのもの(似たもの)に「五臓」があります。
 この五臓とは、肝臓、心臓、脾臓、肺、そして腎臓のことを言います。さらにこの五臓とセットの関係(陰陽のバランス:たとえば人の手のひらと甲)にある部分は、(五臓は「陰」ですから)「陽」を指す部分として、肝臓(陰)に対しては胆(陽)、同じく心臓に対しては小腸、脾臓に対しては胃、肺に対しては大腸、そして腎臓に対しては膀胱、といった「五腑」があります。
 以上のように、人体の中には五臓と五腑とがありますが、心(精神)にも人体に依存しており、また、そこの部分に保存する関係があります。たとえば、肝臓は人間の「魂」の生まれる箇所であり、「魂」は肝臓に保存されているところです。また心臓は「神」の家であり、住んでいるところです。さらに脾臓には「意」が住んでおり、「魄(はく)」は肺に住んでおります。人間の身体の五臓と五腑から、心(精神)が出来ています。心もこれらのところから組成されているのです。

 すなわち“神”、“魂”、“意”、“魄”、“精(または志)”、の5つが人間の本当の心の中身であり、中医学の概念です。(35期のクラスの中で、皆さんに聞いてみましたが)日本人の「心」に対しての理解は様々ですが、多少なりの宗教に影響を受けている部分もあるようです。中医学の“五神志(心の表現)”の解釈について、私は以下のように考えています。 
 それでは、具体的に一つひとつ、述べていきましょう。

 “神”(心臓に保存)は、役割とその中身について、次の2つに分けられます。一つは広義の神です。人間生命活動の外部表現であります。たとえば、この人はどういう顔つきなのか?目つきは?表情や雰囲気、身長、行動(動作、癖、習慣など)、さらには話し方等々。たとえば、AさんとBさんは全てにおいて違うというような、個人の外部表面や全体的な表現のことを広義としております。もう一つ狭義の神は、個人的な精神意識、思惟活動であります。その人の思考、認識力などです。
 以上が、広義と狭義の神についてであります。
私たちが生まれる時に、もっと言えば、初めての生命が誕生(陰と陽が会う)の時に、生命の神も誕生しています。これを「先天的な神」と言います。しかし生まれてから脾臓と胃との関係(食べたり、飲んだりする)のように、まるで赤ちゃんが食べたり飲んだり・・・というような繰り返しで、栄養を吸収して育ち、成長していくようなことは「後天的な神」によってであります。

続いて“魂”についてです。魂は肝臓のところに保存しています。一般に魂という言葉は、本や講演の中などでよく出てくる言葉ですが、(日本人の魂に関しての捉え方は)個人所有ではない、どこからもらったとか、生まれつき、神様からの贈り物である、どこから来たのかわからない・・・などと答えるでしょう。私の考えでは、魂は精神全体、あるいは核心の部分、さらには一番奥深いところと考えています。脳の深いところの意識である「潜在意識」の部分のさらに奥のほうの遺伝的なもの、または生まれつきのもの、あるいは「六層意識層」の潜在意識のところからきていると言えます。それは精神、または心の一番深いところの〈本質〉の部分であり、決定の作用のところです。これはたとえ自分が亡くなっても、次の世代(子や孫)に、あるいは自分の生徒に伝えるということも同様に可能です。そして、この説明は「六層意識」の中からできるのです。

〈後編〉に続きます。