少林寺気功、武術、そして禅の修業により、ビジネス力(スキルではなく、素質)、または人生を生き抜く知恵を高めることができます。この修業、訓練の鍵となるやり方は、内面、また外面から鍛える方法の両面からあります。

 今や全世界経済は、先進国と新興国の回復速度は不均衡な状況、また先進国の財政赤字の拡大、一部新興国における景気の過熱感、資源価格の高騰など、大変な状況が続いております。日本も先進国ですが、経済面では大きな岐路に立たされています。こういった大きく変動していく時期の中、経済界や経営のトップリーダーたちは、どう先を読み、どう乗り越えていくのでしょうか?

実は経営方針、組織体制、または管理ノウハウなどの専門知識で対応していっているのではなく、常に自身の「脳」の中のある“潜在意識部分”、人間が本来持っている潜在能力を引き出し、『人間力』を最大に発揮できるよう訓練をして

ピンチを乗り越えているのです。

 一般的にビジネス面やあらゆる仕事の上で、また人生の様々な状況(自然環境や社会環境、日常生活の中などで起こること)の中で、何か判断したり決断を迫られるような時、また正しい行動や対応していくためには、通常は技術(テクニック)や専門技術(スキル)など、「技」で対処して乗り切ろう、そして勝ち取ろうとします。

 ここで中国に有名な言葉があります。この言葉はビジネスや仕事において、応用させることが出来ます。

    「小さな成功は、“技(技術)”により

             大きな成功は、“徳”による」 

 この言葉の意味は、私たちの日常で起きた出来事で問題が解決したとか、お金を儲けた、事業がプラスに転じて黒字になった、さらには仕事で評価されたり、成績が上がったなどの場合、自分の知識(専門的知識を含め)や努力した結果によるものであります。しかし、もっと大きな成功をつかむような場合、または日本世界で一流と呼ばれるような者(いわゆる“成功者”と呼ばれる人たち)のしている方法は、単に技術だけでなく、大きな成功を生む法則によって行動しているのです。

 なぜ、一流のトップリーダーたちは成功できたか!ということを考察しますと、そこにはある共通点があります。

 第一に「人間性」、または「人間力」について、一般の人たちと比べたら全く違うことが分かります。具体的に分析しますと、まず掲げる目標が普通の人と異なります。大きな目標を持ち、そして広い心を持ち、また目の前の小さな利益を求めたり、自分のことだけを考えているような人間ではないのです。

第二に(経営などの)トップリーダーとなるような者の“素質”は、周りに対しての「影響力」や「存在感」などがあり、周りの者も知らず知らずにその人に従っていたり、引っ張られて誘導されたり、さらには依存してしまっているというようなところがあります。こういう雰囲気になれば、なんとなく「その人と仕事をやりたい!」と思わせたり、「その人と一緒にすれば、必ず成功する!」と自信を持って行動し始めるのです。これらのことは、その者に「魅力」を感じるからこそでありますが、成功者には必ずある要素の一つです。ですから成功者の周りには人が集まり、応援をする者が増えて大きな力を生むのです。

 第三にどんな状況でも自分の意志は変わらず、動揺することはありません。ですから自分の目標に対して、着実に進んでいきます。(マラソンと同じように)突き進む道は“山あり谷あり”ですが、止まらず前に進み、しっかりゴール(目標)まで行くのです。まず簡単にあきらめません。すべきことは「信念」を持って必ず突き進みます。冷めやまぬ情熱を持って、成功するまで続けます。

 第四は、ビジネスや仕事などのあらゆる場面において、その場その場の判断で解決しようとしたり、持っている知識だけに頼ってはいません。これはいわゆる〈本能〉からの行動“直感の判断”であり、様々な状況において正しい判断となります。この場合の「判断力」とは、技(技術)や知識ではありません。持っているあらゆるデータからとか、市場調査した結果だとか、またコンピュータの計算によって出した答えなどというものではないということです。先を読み、市場の動向など変化に対して「直感」が働き、行動に移すようになるのです。こういう能力については、一般の経営者やビジネスマンには持っていない(普通は持てない)ものです。しかし、これが大成功を収めるか、小さな成功で終わるかの大きな違いなのです。

さらに第五として、人間の素質は、自分自身を周りの環境と合せることができる人です。自然に反せず、順応させることができる柔軟性を持つことがあることが、生き延びるためにとても必要なことなのです。これが人と人とのコミュニケーション、また何か対応するといった場合に“自分と相手とが一つになる”ようにすることになり、良い関係につながります。そして自我を通すのではなく、一緒に考えて判断するということができるなどが大事なのです。しかし、世の中で成功するということは、その時代背景や求めるものが違う中、タイミングよく生み出す(たとえば経営の“神様”と呼ばれる松下幸之助〈松下電器産業を一代で築き上げた経営者〉が、社会に必要とされるものを生産することが目標とする経営理念を持つといった)ことが、先見につながるのです。

第六として、個人だけではなく、社会全体にとって大きな貢献に結びつくような成功をさせるといった人間の素質がなければなりません。

 

それでは、このような「素質」は、どのようにして身に着けるべきか?

中には生まれながらにして(遺伝情報として)持っている人もいます。しかし重要なことは、本人の成長は周りの環境に大きく影響されるということです。人間の素質についても、本人の努力により、勉強して実践に結びつけることで素質を高めることができるのです。多くの場合は、こういった方法によるものなのです。

 

現代は、これまで述べてきたように人間の本来持つ「素質」、または「人間力」について、既に人体科学の面から解明されており、修業や訓練、トレーニングの中でその方法を取り入れて、素質まで変えていくということが可能です。

そうすれば、経営をする上でリーダーシップを発揮することができるのです。また一般的な仕事であっても、大きな成功につながるようにさせることが出来るのです。もちろん専門的なスキルを学ぶことは大事です。しかし「素質」を高めるほうがもっと重要なのです。これは会社組織や地域社会を図式化される“ピラミッド構造”の中で、下位の部分には多くの人(一般人、社員や従業員など)が占める割合の方が大きいでしょう。だんだん高いレベルに上がったり、責任ある仕事を任されたり、役職に就いたり・・・となればピラミッドの頂点に立つことになりますから、「素質」がとても重要を増すことになるのです。

さて、「素質」を高めるために、ハウツウ本や専門的な本などは世の中にたくさん出版されていますし、多くの雑誌やメディアなどでテーマが組まれています。その内容は人間改造、人間開発、能力開発・・・など。しかし本などで知識を得たということだけでは、実際には「素質」は得ることができません。あくまでも自己の内面(脳内)に入り、“意識化”させることが必要なのです。人間力を開発して高めようとしても、単に勉強したり講演などを聴きに行ったりといった程度では、自己の「脳」を変化させることはできずに終わってしまいます。

大半の場合、たくさん知識があるといったことだけなのです。実は脳の“潜在意識”の一番深いところまで入り込んで、変えていくようなことをしなければ、人間そのものが変わらないのです。これは意識構造的な話になりますが、すでに深層心理学の分野でも解明されていることであります。この研究では、意識には6種類ありまして、各意識が「層」のように重なり合って構成されています。

まるでピラミッドの形の6階建てのビルのようなイメージにして考えますと、一番表面の層は、「表面意識(顕意識)」です。この意識は、普段私たちが思考をしたり、物事を選択や判断、また決定などさせている部分で、主に脳の左側が活動しています。

第二の層は、「前意識(または下意識)」と言います。表面意識と潜在意識の中間の層であり、人間の飲食や歩行など“習慣的動作”はこの意識の部分になります。たとえば武術・武道の達人などはこの意識を使って、技のレベルを高めていきます。

第三の層は、「狭義潜意識」です。この意識は人間行動の支配や人間性の変化などに深く関係があります。病気が発生する、または病気が治るというのもこの層の部分です。

第四の意識の層は「超感潜意識」といい、第五の層は「仕事潜意識」です。この第五の層がこれまでお話ししましたように、(外部に対して)影響力を与える“パワーの部分”なのです。

さらに一番深い第六の意識の層は、人間本来の原点であります「自性潜意識」と言います。これは「禅(悟り)」の状態であり、この宇宙の始まりと同じ状態を指しています。

こういう「意識の理論」から、私たちの能力は開発させることができ、「人間力」を高めるには、これら潜在意識の中で能力を高める訓練によって実現されるのです。

 

それでは私たちはどういう方法で、表面意識より下の「潜在意識」の状態に入ることができるでしょうか?たとえば深い『瞑想』や気功の動功の練習、心身統一の動作などによって、高めることが可能なのです。瞑想や動功などの気功の本質は、表面意識よりも深いレベルに入り、潜在意識の部分まで入ることができます。あくまでも表面的な部分は知識の支配であり、行動の支配ではありません。私たちが物事を潜在意識から答えを導くことができれば、その効果はあります。ですから深い瞑想に入り、自己を変えていく必要があるのです。もちろん簡単に到達することは難しいですから、なかなか入ることはできないでしょう。実践しても最初のうちは入口の段階ですから、少林寺気功や武術の修業し、練習をしていけば、早い段階で深い意識に入っていくことも可能なのです。

少林寺の数多くの構成されている修業(練習)によって、「型」の動作と「意識」の持ち方、さらに「呼吸」を合わせて実践していきます。そうすれば「心」と「体」は統一されていきます。内面と外面(心と体)が一つになり、意識も一緒に動くようになります。少林寺気功や武術(肉体表現)から、意識の深いところにつなげていきます。そうすれば行動が変わり、速やかに動けるようになり、自分の肉体から心を変えていくことができます。このアプローチにより、最高の自己開発(改造)の方法となりますから、ビジネス面でもリーダーシップを発揮させる、また大成功を収めるということが可能なのです。

 

 さて、私(秦西平)の人生において、どれだけの効果を得ることができたか?

 

私は、文化大革命の混乱のさなか、小学3年生(当時8歳)の時に重い肺結核を患ってしまいました。中国では肺結核はまだまだ“死に至る病”でありました。学校も半年ぐらい休んで集中治療を受けましたが、とても辛いものでした。重い病と闘うという経験もしたわけですが、子供の時から体は丈夫でなければいけないという認識がありました。ですから、身体を鍛えるために、毎日7時間のトレーニングを続けました。朝は4時から7時まで、そして夜も7時から11時まで練功などのトレーニングを、雨の日も風の日も雪の日も実践しました。朝はまず冷水を浴びてから始めました。そのため弱かった体は見る見るうちに強くなり、鍛えられました。

 

その姿は、嵩山少林寺から全国行脚の途中であった第33代最高師範の釋永開師の目に留まり、師との運命的な出会いがきっかけで、少林寺における修業が始まりました。入門後は一般人には耐えられない修業を行いました。そして当時の釋行正管長に評価して頂き、22歳で「嵩山少林寺第34代継承者最高師範」になりました。少林寺では武術はもちろんですが、禅(坐禅)の修業もありました。その中で一番厳しいとされる「百日大閉関」に挑みました。これは窓などない暗い部屋の中で100日間の座禅、28日間の断食、7日間の断水というものです。少林寺1500年の歴史の中、なんと2人目という厳しい修業にも耐えて、やり通しました。

 

 毛沢東の「上山下郷(シャンシャンシアシャン)」の方針(都市の青少年が16歳になったら、農村に行って労働を従事するという政策の一つ)により、私も農村で3年間働きましたが、少林寺での厳しい修業という経験が自分を強くさせていました。さらに働きながらも少林寺の修業をしていたのです。もちろん朝晩のトレーニングも欠かさず行っていました。当時、農村では食べるものも飲むものもろくにない貧しい状況でした。住んでいた部屋もボロボロで、雨や風が入り込んでくる状態でしたが、耐えることができたのです。

 

 文化大革命により10年間中断されていた大学の入学試験が復活しました。中国の歴史の中で一番競争率の激しく高い受験(何万人に1人)となりましたが、見事合格することができました。私の高校の過去10年間の卒業生で、このとき受験した者のうち、合格者は私を含め2名しかいなかったのです。

 

大学を卒業後、(就職については国が働き先を決めていましたが、私にも選ぶ権利ありましたから)専門分野を活かせる会社を選びました。19822月、宝鶏市内で一番汚く、そして誰も行きたくないと言われた工場で勤務しました。あえてこの会社を選んだのは、この工場にとって自分の役に立つと思い、自分の利益は二の次と考えたからでした。工場に隣接する社員寮に住み、毎日仕事が終わった後も工場に残り(午後6時に終わりですが夜中まで)、その工場が抱えている問題や経営赤字、また技術力の開発、さらに工員勤務の効率化など解決すべきことを調べました。私は技術者でしたから、技術面での改善など、そして環境汚染や通風などによる健康面や労働条件の改善も行いました。実際、工場における環境の改善(働く意欲を高める、製品の質を高める、外部発注量を増やすなど)を図り、多くの改善策や問題の解決していきました。こうしたことが会社のイメージを高めていき、信用を得られるほどになりました。入社半年後には、副工場長に任命され、さらに改善策に努めました。コスト管理、人事管理、品質管理、営業や会社の理念まで、3年ほどかけて各体制の見直しなど多くの実績を出し、経営も赤字から黒字にさせることができました。このことについては、当時、世間にも知れ渡り、とても評判となって新聞などのメディアにも取り上げられたほどです。工場におけるこうした努力が実を結び、さらに研究と実績が高く評価されて、陝西省と宝鶏市や県からも4つの賞をいただきました。私自身、たくさんの方からの信頼を得ることにつながりました。

こうしたことが、日本に渡る機会につながったのだと思います。私は「日本へ派遣する科学技術研究生を募集している」と話を聞きました。1988年、私は日本語を「あ・い・う・え・お」から独学で勉強しました。当時、工場の副工場長として勤務しながら、半年で独学で日本語研修予備クラスに(3万人の中から)合格することができました。全省の中でも5番目の成績でした。さらに研修を経て、日本語能力試験及び金属に関する専門的な試験にもトップで合格しました。

1989年9月に日本へ派遣の技術研修団(他は会社の役員や理事長クラスの方と一緒で100名位いました)の団長として、日本にやってきました。団長に選ばれたのも成績や人物の迫力、雰囲気、思考力などが総合的に判断にされて、団長としての素質があり、中国20数省の中でも一番の評価を頂いたからだと思います。メンバーの中には、中国の(日本の“松下電器産業”のような会社)飛行機工場の副社長もいました。日本では1年間の研修をいたしました。1990年8月、この研修団は優秀の成績且つ大成功を収めたことで、中国の人民日報社から海外派遣記者がわざわざ北京から日本へ来て、取材されました。さらに日本の「日刊工業新聞」からも取材があり、大きく掲載されるほどでした。

 

帰国後、先端技術開発のリーダー養成のために中国政府主催の「専門家国費研究員募集」がありました。1980年代から世界と中国の科学技術に力を注ぐため、様々な共同研究などが進められました。(これも文化大革命の原因で)10年間大学が閉鎖し、また断層の状態が続きましたから、中国国内の技術や開発面の危機からの政策であり、将来は中国の科学と技術関連の企業を支える人材を育てるための大計画であります。選考方法は、実績と筆記試験の両面で審査されました。199310月、私は選ばれて「中国政府派遣の国費研究員」として、東京大学での研究のため、再び日本へ派遣されました。この時の成績も中国トップで選ばれました。

研究・論文を発表しながら、私は少林寺気功も実践していました。このことが「財団公益法人日中友好会館」に伝わり、少林寺気功に関する講演の依頼がありました。また少林寺気功教室も頼まれていき、どんどん広まっていきました。少林寺気功のすばらしさは(少林寺1,500年の歴史が示すように)、その人の人生、心身の健康、さらに能力開発などにも非常に役に立つものだと実感し、日本において「少林寺気功」の指導が始まったのです。

1998年、「第一回少林寺気功武術大会」を世田谷区で開催し、500名を超す来場でありました。また数々のテレビ出演、専門雑誌の表紙や、巻頭特集が多く組まれました。新聞などの掲載、中でも日本健康番組「秦先生の少林寺健康法」が連続7年間で合計5000回放送され、日本健康番組では、放映最長記録となりました。

2000年、少林寺気功に関する5冊の本を出版し、特に「少林寺気功理論」は明治大学の名誉教授などから、大変評価されました。さらに世界で初めての気功による麻酔抜歯に成功いたしました。日本の東洋歯科医学学科大会で論文を発表、講演等も行いました。

2001年には、「全米審美歯科医学学会」から招待され、(グループには日本の歯科会会長や副会長などと一緒に)日本代表としてアメリカ(ニューヨーク)に行き、論文の発表及び演武を行いました。この時は、ちょうどアメリカ同時多発テロ事件の後でしたから、いつ死んでもおかしくない状況でしたが会議に臨んだことを覚えています。この時の論文発表により、全世界の医者がびっくりされ、大変注目を浴びることとなりました。翌年にはアメリカ(ラスベガス)でアジア人初の大会s招待講演、そして演武(全米審美歯科医学学会より依頼)を行いました。

その後、気功指導をさらに行い、指導者を育てました。生徒の方々は自己の健康はもちろん、精神的にも充実になり元気になって、仕事などにおける人間関係が改善されて、うまくいけるようになっていきました。さらにビジネス面においても大変活かされて、非常に良い変化があり、利益が何倍も良くなるという生徒もいらっしゃいました。さらに磨きをかけた指導員たちは、世界各国の気功大会に参加しまして、優秀な成績を収めて評価されました。少林寺武術でも2004年に中国鄭州で最高レベルの第一回世界伝統武術大会で60カ国3000人参加の選手の中から当協会の生徒が7個の金メダル、14個の銀メダルの受賞をし最高の成績を収めました。そして、各国で私は世界一の軍団を育てたと称されました

200710月に東京で世界最大級の「世界気功フォーラム」を主催いたしました。この大会は、健康・気功・風水・武術などの総合世界大会として開催いたしました。この成功が認められ、国連平和賞を受賞しました。

201010月に第二回目となる「世界気功フォーラム2010」を開催しました。世界各国から参加者が2,500名集まりました。この大会で健康促進活動が認められ、アメリカ大統領のオバマ氏より賞状とメダルを贈られました。2013年には第三回、そして昨年は中国の少林寺で(第四回目となる)「世界功夫養生大会」を少林寺と共同で主催しました。 

さらに今年9月には、「第五回 世界少林寺気功武術健康大会」の開催を予定しています。元々、自分自身はイベントの才能はなく(得意ではなかった)、第一回(2007)の時は、イベント会社の方たちがまとめて下さいました。大会は成功しましたが、結果1,000万円という赤字を出しました。第二回目(2010)は、赤字でも黒字でもない結果となりました。物事を恐れず、反省し、次につなげるという努力が大切なのであります。

 

これまで述べてきましたように、「自分の思いを実現したい!」、「世の中に良い事をやりたい!」と思いましたら、“気”により、自己の気を養成して高めていき、潜在能力を発揮させ、ビジネスの面などで引き出していくことが「少林寺気功」によって可能です。これまでできなかったということが“できる”ようになるのです。