少林寺では、武術のほかにお坊さんの話しを聞いたり、
坐禅も禅の創立者達磨大師の九年面壁の場所と塔林で行ないました。
武術・坐禅・少林寺の見学やいろいろな交流は、形は違ってもこの活動の中身は同じことだと思います。
これらはすべて禅で充満していると思います。
禅について言葉で表現するのは、少し難しいところがあると思いますが、
よく長く続けていくと自身には何となく禅は感じられます。
これが感じられるかどうかは、ひとつは自分の努力や経験が関係するでしょう。
もうひとつは、重要な禅は自分の観あるいは観想できるかどうかです。
だから今回は禅の創立の場所で禅を感じられたので非常に意味があると思います。
こういうことはやはり言葉よりも実際に感じる方が大事でしょう。
あまり言葉ばかりを使って表現しようとすると、
たぶん具体的になりすぎて禅はなくなってしまうと思います。
皆さんも、自分の練習や修行そして少林寺に行く時によく感じてみて下さい。