皆さん お久ぶりです。(今後は毎週、掲載します)
今回の内容は、主に少林寺の世界大会(世界気功フォーラム)と私達の日頃の練習についての話です。全日本少林寺気功協会の少林寺気功及び武術教室は、既に24年目となりました。皆さんが習っているものは(簡単に言いますと)動功や静功、そして基礎理論、外気治療法などです。練習では技などの技術を見て、実践し覚えていくものですが、それらのレベルが高くなってきますと”人生の智慧を習う”と言っても過言ではありません。自分の人生がうまくいけるようになるこの”智慧”とは、一般的な知恵や知識とは違います。この智慧をうまく活用できるようなレベルまで練習をすれば、仮に健康ではなく病気を患わっていたとしても良い方向へ変えることが可能なのです。ですからこれは単に運動によって血行の循環が良くなって、健康になるということではありません。人間の身体の根本的から治癒力を高める、また根本的から質を変えることができるのです。もちろん本人の素質や努力次第であります。
人間の身体の使い方は、ある人はスポーツの能力、また技術などを身に付ける、さらにある人は仕事の能力をつけますね。体を使う時にそういった能力を”智慧”により、開発することができます。また私達は、「脳」の開発もできるのです。これも知識や会話力がつくというようなことではなく、自分の持っている技などを現実社会に活かすことができる、さらに人とのために役立てられるということを当協会の各教室では指導しています。
ですから練習では根本的に自分の肉体から精神、あるいは魂まで変わらなければならないのです。私が昔、少林寺で修業していた時の目的がそうであったように、今、皆さんも同じでしょう。門をたたき、習うということは”自分を変える”ためにこちらに来られたのだと思います。私達協会側(指導する側)も毎日、練習が必要でありますが、皆さんはただ表面的な形だけ覚えるのではなく、またその身に付けている自分の体と精神に役立つようにし、その上に人生を変えることであります。
今年の忘年会(12/4開催)でも忘年の”忘”という字の意味についてお話しました。それぞれの人生の中には、学びもありますが不愉快な出来事もいっぱいあります。私達は練習を重ねて、もし不愉快なことがあれば流していき、新しい年を迎えられるよう前を向いて進むことです。
皆さんは当協会の授業の中で「理論」を学んでいます。しかしその段階においては、まだ完全な状態と言えません。あくまでも理論的なものを身に付けたというだけであります。現実的にそうなるかどうかは、その人の魂、自己の内面はどうか、それらが大きく関連しているからです。それでは習っていくと、自分がどれだけ変わるのか。ある人は数年練習をして”皮膚”が変わった。・・・またある人は”筋肉”が変わった。・・・ある人は”血液”が変わった。・・・ある人は”骨”が変わった。さらにある人は精神(魂)までも変わった。多くの方が実践している中で、自己の内面(奥深いところ)が変わるということは、常に練習している結果であり、それは”禅”のレベルになります。
しかし、そのレベルになるためには、現実の自分の人生の態度や人生観が大いに関わることになります。瞑想(静功)の時、こういう経験の人がいます。よく雑念を払い、入静の状態に入ります。しかし入静に入ると「怖い」ことが浮かんでしまうのです。また心配なことを考えてしまう。いろいろな変な現象が”見える”とか”出てくる”のです。そういう事象は、基本的に自分の深いレベルに入っていくことを邪魔しています。それらの原因は、本人の既に持っているものの反映であり、その表れなのです。単に坐禅(または瞑想)をするだけでは、入静に入るのは遅くなります。本人の日常生活の中にある考え方や行動は、もっと少林寺のものに合うようにして、また自分の人生の高いレベルに行かなければならないのです。そして社会に対して、もっと貢献をしていくべきであります。自分自身のことは忘れて、自己中心的なことを捨ててしまわないとうまくいけません。そういう修業や瞑想の練習において、一番邪魔なものは、”自己中心的”であるということです。たとえば「怖い!」とか「心配だ!」と思ったり言ったりしますが、なぜ怖いのか、なにが心配なのかと考えると、本当は自分のことが怖いのでしょう。でも「自分が死んでしまったら」と思えば、また一切を捨ててしまったと思えば、なにも怖いものなどないはずです。他人のことを怖いことはありません。また日本のことを「怖い!」とか「心配だ!」とか思っていてはいけません。そういう雑念などの邪魔なことは、自分のことを考え過ぎた結果です。

じゃあ、自分のことをどうやったら捨てることができるか!?
(その方法は教室で教えていますが)重要な方法は、社会の貢献する活動に参加するということです。その練習としては、捨(しゃ)・・・捨てる、寄付(他人に寄付すること)、自分を捨てる、または自分の持っているものを捨てる(財産も地位でもお金でも自分の個人のものを捨てる)。現実にはそれぞれ生活にお金が必要ですし、いろいろ事情があると思います。ただそういう時に、大勢の人に正しい道を誘導する、または伝えることの最も大事なことは『捨』です。さらに少林寺のことを大勢の人に伝えるということにより、自分自身の中にある邪魔なものを、どんどんきれいにすることができます。
当協会においてはそれらができる活動を提供しています。第一のレベルとしては、忘年会等の行事を取りまとめること。20年以上に渡り、各期生が幹事としてまとめています。次に第二のレベルとしては、認定旅行のための実行委員の準備活動です。これも18年間くらい続いています。さらに高級レベルの社会貢献の発揮ができる場として、2016年9月に行われる世界大会であります。世界大会では、1つは少林寺気功、または気功健康法などを世界大会の場で形にすることが必要です。このようなことは、これまで有志者や先生たちが20何年も前から痛感していることですが、日本だけでなく世界でも皆さんの力を合わせて、全人類へ向けて各国にアピールしていく、全世界に対してこの健康運動を進めることが、今、世界の人間にとって一番必要なことであり、とても重要なことであります。特に少林寺の修業の場合には、世界大会等を手伝うことで、練習を超えた実践的な練習の場(社会貢献)として活動できるのです。これは学校や仕事場において、現場で実践・実技することと同じです。「理論」が先に頭の中で形になっているだけでは、本当の自分になれません。それでは現実の社会(学校や仕事場)に戻ると”自分は自分!”となってしまうからです。もし殻を破ることができたら、自分の健康面、または仕事面で効果が出ます。
また多くの人が、せっかく習って覚えても自分には役に立たないと感じているのです。そう思ってしまう原因としては、第一に練習が足りないということです。そしてもっと重要なことは、自己の内面に関わることが足りないためです。精神の魂、自分は何のために生まれ、何のために生きているのかという根本的なことが解決されていないのです。そのため現実社会では、自己中心的になってしまうのです。しかしそれではいろいろなトラブルが起きたり、問題が降りかかってしまうのです。そして後戻りできないことが続き、結局ストレスになってしまいます。ですから習ってる実技や大会における演武等以外にも当協会の諸活動を行うことが大事なのです。その際、他の先生たちとの交流も深められます。
次に世界大会の準備等は、普段の仕事のように見えますが、一般の仕事とは違います。通常、仕事はビジネスであり、給料をもらうので、それに似合った仕事をしなければなりません。しかし当協会の世界大会の準備等では、各人の心は「自由」です。そうすると自由な心と魂の状態は、どのように反応し対応していくか?自分の人生の中で何が一番大切か?ということも問われます。これが本当の自分の根本的な部分を表します。気づきにより悪い癖は直せますし、もっと良いものを身に付けられれば進歩しやすいのです。
なお当協会の諸活動は、ビジネスではありません。世界大会を行いますが、毎回赤字(第一回の時は1,000万円の赤字を出しました)です。なぜそれでもやり続けていくのでしょうか?協会の宣伝のため??しかし実際に大会の後、協会に人は増えていません。それよりも実行することの意義として、社会にとって必要があるものと確信しておりますから、当協会としては”続ける”と決めて行っていくのです。
さらに指導員達の今後、広めたり教えたりできる場の土台作りとして、実際に活動している皆さんがやりやすい場になるような状況を作っているためでもあります。それは今だけではなく10年後、50年後、100年後と先の事も考えているのです。

今回の「今日の言葉」は、「自分の習っていること」と「現実社会における自分」を結びつけることが非常に必要なことだということです。