只管打坐についていろいろお話ししてきました。
今回は、本当の打坐の前には、まず3つの条件が
揃わなければならないというお話しです。

第1の条件は信念の問題です。自分が本当に信じるかどうか。
人生は無常でいろいろなことがあります。
あるいは夢のようなものと考えてもいいでしょう。
世の中は苦しい海というたとえがあります。
これは仏教の考え方ですが、一般的には世の中には
苦しみも楽もあります。普通の人が苦海に疑問をもち、
今この青春時代にこそ気楽な楽しいことをする
チャンスじゃないの?と思うのは自然なことです。
仏教では、本当は世の中は苦しい海だとわかったら、
あるいはそれくらい悟ったらその人は修行の中での
初めての悟りになり、初めての結果は出ている証明になります。
世の中の苦しさや無常や、人生は実際は夢のような虚の状態を
苦と理解したら仏教の根本の意味を深く知ることはできます。
そうすると修行も「只管打坐」のいい基礎になります。
この状態になると欲望や雑念は入らないと思います。

第2は道骨です。中国の道骨は、骨気あるいは
自分の骨は持っている、自分の信念を持っている
人間という意味です。利益に左右される人間ではありません。
捨てるはずの利益は自分のところからすぐに捨てることができます。
自分の責任と苦しみを自分で負担します。
いくら面倒でもいくら自分が損しても自身で受けます。
例えば、お金持ちになりたい人は多いと思いますが、
でも自分がもらうはずじゃないお金は手に入っても放棄します。
世の中や他人のために活動するのは結構大変でしょう。
でもたとえ犠牲になっても、非常に面倒なことがあっても、
何となくそれは自然に楽しんでやることができます。

第3は、本気で修行したい人は自分が行なうことは
全て正直にすることです。例えば練習や修行の
関係のことなどがあります。必要な練習をして質問があれば
先生に直接聞きます。先生が要求する練習は真っ直ぐの
本気の心で実行します。また、自分の心は世の中に他人に対して
正直に心から対応します。そうすると「只管打坐」は
本当のものになるでしょう。もしそうじゃないと
本当の自分の修行ではなく、ただ何かいいものを期待してやるようだと、
最後に結果も出ることはありません。

これは「只管打坐」の前の3つの条件です。