少林寺の永信管長がある本の前書きにこういうことを述べました。
もし少林寺の武道家になるのなら、同時に少林寺の禅師にならなければならない。
これは本当の武道家になります。

これにはひとつの物語があります。昔、かなり強くて有名な武道家がいました。
ある時この武道家はどちらが本当に強いか証明するために少林寺の禅師に闘いを挑戦しました。
それでは何で闘いますか、と禅師が聞きました。
その武道家は弓を使うので弓で試合をすることになりました。
そして試合はどこでやりますかと武道家は聞くと、禅師は山でやりましょうと言いました。
これは何百何千メートルというものすごく高い場所で立つ場所もほとんどないくらいのところです。
もし落ちたら大変です。でもその有名な武道家もこれを受けました。

次の日の朝、二人でその場所に向かいました。
武道家はその場所に着いて立つと、怖さのあまりに両足は震えてしまい弓も構えられません。
最後にはおしっこも出てしまいました。
逆に禅師の方はそこに立っても顔色は全然変わりません。それで当然に禅師は勝ちました。
実際は禅師は弓はできなかったのですが、でも強い心がありました。だからその禅師は勝ちました。

もし武道家になるとまず禅師になることです。いくら技術的に優れていたとしても、
少林寺として代表的に大事なことはまず心ができることあるいは禅の状態にできることです。
禅の状態はすべて心の中に無いということです。当然に怖いこともありません。
だから無いということは最高の状態だということが、ここでひとつ表わされます。