『修業は普段の生活の中にある』

 体も鍛えた。勉強も頑張り、家のご飯も8歳の頃から作るようになった。ご飯を作ると言っても、今のように楽ではない。すべて原料から。ガスのストーブもない。石炭の粉を人力車で買いつけ、土を山へ行って採ってきて、石炭の粉と混ぜて燃えにくく、火が長持ちする物を作った。ストーブの管理も大変。夜に1度消えてしまったりすると、また紙から木材へ火を移す。部屋中煙でいっぱいになる。火は弱いので、食料は全部粉。米はほとんどなかった。
ほとんど小麦粉。自分でパンを作る。うどんやそば。8歳の頃から手打ちのそばを作った。力も弱いし、体も小さかったので、机が高くて、そばを打つ時に腕を上げたままで大変だった。小麦は95%くらい。茶色で今のような白い物ではなかった。粘りもない。均等にのばせない。うどんの太さもバラバラ。火は弱い。時間も長くなる。小麦粉の質も良くない、うどんにするつもりで作っていたのにドロドロになってしまったこともよくあった。
これも修業の土台。少林寺で修業を続けられた条件になった。少林寺の修業を続けられず途中でダメになった人も多かった。この話は、私は特別でもなく、神様でもない、そうではない。色々な経験をしたり、逆境の中で、つまらないことでも、何でも熱意を持って興味を持って取り組んだ。何でも最後まで諦めない。料理の時も同時に、笛やハーモニカを独学で練習しながら作った。家のことをやるのは普通はつまらない事だが同時に自分のことを何か1つやる。料理を習ったわけではない。両親は大きな家の出身なので、使用人もいたので家事は苦手。私が8歳から料理を作ったのは、私が一番先に家に帰ったから。そういう事も今から思えば感謝できること。ないものは、作っていく、超える。その精神も大切だが、習慣ももっと重要。小さい頃からの習慣は非常に重要。わざわざ修業をするより、修業をする習慣を作ればもっと良い。そうすれば、あなたは、違和感がなく自然に修業できる。
 もう1つは、どういう状況でもどういう風に前を向いて自分の人生に対応していくかということ。文化大革命の時は、正直学校は面白くない。何故か。科学なども農薬のバランスばかりであまり勉強になる様なことはなかった。だから私は、1時間目の授業が終わったら、2時間目の授業中に授業を聞きながら1時間目の宿題をし、3時間目には、授業を聞きながら2時間目の宿題をする。宿題はいっぱいあった。学校が終わったら宿題も終わっている。先生からすればあまり面白くないのかも知れない。先生の授業よりも自分の勉強の方が先に行った。先生からの問題がまだ全部言われないうちに答えた。スピードがスゴイと言われた。全国の数学のオリンピックにも代表として参加したこともあった。そういう習慣は今の仕事でもあります。効率的でもあります。3人くらいでする仕事も1人で同時にやって短い時間で一番先に終わらせる。パンを作る時も両手で1つを捏ねるのではなく、片手で1つずつ2つ同時に捏ねた。さらに同時に本も読んだ。練習を見る時も同じ。皆さんで練習する時に頭の後ろに目がついているんですか?と聞かれるほど。1人に注意しながら他の人の動きも見る。これは私の習慣であって、真似をする必要はない。大切な事は気持ち。普段の生活の小さな事でも気持ちを持って取り組めば、何でももっと上に上げることも出来、自分を鍛えることができて修業になる。
 この後、少林寺に入って何十年もかかってまだ出来ない人がいることも私は何年かで出来た。体力が皆さんの何十倍もあるということではない。私のその時々の自分の人生へ向けた姿勢を感じ取って欲しい。少林寺へ行くことが素晴らしいことではなく、修業は普段の生活の中にある。