今日の言葉。

気功は私たちの生活のなかにある

気功は全日本少林寺気功協会のなかでも教えて気功の教室はもうそろそろ20年になります。各期生は非常に頑張って各期生の身心のレベルも気功の状態も高くなります。現実的にはある人は気功をよくやって病気はよくなった。益々元気になります。体が弱くても体段々強くなる。ある最近入った31期生の人は半年とちょっとで昔大変なアトピーで完全に治った。試験の時にほとんどの会員は皆気功やってそれぞれ体が元気になるとか、腰痛いとか、膝痛いとかいうのがよくなり、ある人は心が落ち着いたとかそういう感想もありました。

これは気功を本気で真面目に取り組んだら、大体そういう結果になる。だからまず第一は本気でやることが大事。

第二は頭のなかに形を覚えて自分はよく練習するということ。

どっちにしても気功はある方法で最後の目的ではない。

気功は手段であって道具です。この気功を通って体はいろいろな目標に向かう。成りたい通りになります。ある人は健康になって病気はよくなり、ある人は能力の開発、自分はもっと身体能力はよくできるか。ある人は精神の面でそれを求めて。もっと心のほうの問題を解決する。例えば禅の修行みたいにどんどん悟りの方向にいく。禅の状態になる。もちろんある人は少林寺のファンですから、なんでも習いたい。もちろんある人は自分は強く成りたい。それぞれの目標はそれぞれ実際に気功をやって進む道は絶対に間違いない。でも効果は人によってちがいます。これは自分は習ったものを毎回毎回練習しましたか。ある人の話は時間がない場所がない。これは問題は解決できる。本当に自分がやりたければ時間はいくらでも作れます。いくら忙しくてもつくれます。場所はどこでもできる。普通に歩く廊下のところでもできる。本気で自分はやりたければ、私たち練習のときにあまり外部のものはああでもない、こうでもないと強調しない。日常のなかに染み込んで、私たちの歩くなかにもできます。寝ているときも仕事中も全部気の要領の通りで人に対応する。もしそうしたら自分も

びっくりするくらい瞬間に問題は解決できます。実際は気功はもし精神の面でいうと、気功と禅の修行は統一性はあります。もし体を鍛えるのは逆に気功はスポーツ界で達人の体をつくることもできます。だから常に自分の日常生活のなかに特に自分に厳しい要求をすることが必要。自分に非常に甘い。他人の色々な問題点ばかりみて、自分はどんなに素晴らしいかばかり、強調する。そうするとたぶんなかなか進歩にはならない。だから同じ練習で同じ種をいれて最後の実はなるのは違う。花は咲くのは違う。これはやっぱり自分の手で作ったものどういう道は一切他人の責任とか、他人の外部の条件は考えない。全て自分自身のなかで結論は出ます。全て自分の心と自分の日常生活のなかに出来ます。