「師徒はすなわち父子なり(=師と弟子は、親子の関係に等しい)」という言葉が少林寺にはありますが、これは少林寺の特徴を最も良くあらわすものであり、他の寺院と異なる点でもあります。元朝以来、少林寺の僧侶はすべて子孫僧とされていますが、その間には師弟関係があり、それは親子関係とも言われています。そして、現在にいたるまで、代々厳密な家系譜が伝えられています。少林寺の僧侶は、すべて師の養子だったり、義理の子供だったりするのです。だから、その家系譜には、一般の人々の家系譜と同じく「高祖の代、曽祖父の代、祖父の代、父の代、自分の代、子の代、孫の代、玄孫の代」といったように、一代一代受け継がれてきています。
 少林寺以外の、他の寺院の僧侶は「十方僧」です。「十方僧」とは、すなわち僧侶間の関係は、師弟関係があるのみで、父子関係はないというものです。最近の何年間は世界的に少林寺ブームが起こっており、それにともなって少林寺の僧侶を騙る(かたる)、ニセモノが出回ったことがありますが、少林寺の師弟関係のことがわからないので、すぐばれてしまいます。
 少林寺のこうした師弟関係は元朝から始まりました。元朝の初め、皇帝クビライは「雪庭福裕」大和尚を「国師」の職に任命し、前後して「無言道公」や「菊庵照公」など十八人の大師が皇帝に祖師として任じられました。こうして皇帝から位を与えられた十八人の大和尚を祖師として、十八の家族にわかれたのです。これが少林寺で言われている「十八門僧人」であり、「十八門頭僧」とも言われています。以前もお話しましたが、この十八家族は少林寺の常住院の周囲に住んでおり、それぞれの家風があります。元の時代に「雪庭福裕」大和尚は、僧侶につける法号を代ごとに定め、七十の輩号を決めました。
     福慧智子覚、了本圓可悟。
     周洪普広宗、道慶同玄祖。
     清浄真如海、湛寂淳貞素。
     徳行永延恒、妙体常堅固。
     心朗照幽深、性明鑑宗祚。
     衷正善喜祥、謹愨原済度。
     雪庭為導師、引汝帰鉉路。
  今の管長は「永」の字を使用しており、元の時代から始まって三十三代目にあたります。私は僧侶ではありませんが、「釈 延平」という法号をいただいており、三十四代目になります。
 少林寺の管長は非常に厳しい条件で選ばれます。今の管長の先生である「徳善大師」が1989年に任命されるまで、少林寺には300年間ぐらい管長が存在しませんでした。管長は代々国から任命されないとなれません。今の管長も、もちろん中国政府から任命されています。
 管長に選ばれるには、四つの条件が必要です。第一は、修行を積んで高い能力を有しており、徳が高く、人望も厚いこと。仏教学の上で高い教養を持ち、中国全土の仏教界に大きな影響を持つ少林寺の子孫僧であること。第二は「三経」、すなわち「経」と「律」と「論」の三方面に精通していること。「経」とは、仏教の経典に精通しており、仏教の道理に詳しく、高い学位を持ち、深い内容をわかりやすく簡単に説明でき、また多くの僧侶達から賞賛されているということです。「律」は、禅門における”仏、法、僧”も三帰、”殺、盗、淫、妄、酒”の五戒、十善などの戒律を良く守り、皆の見本となって応用できると言う事で、みんなの師となれるということです。「論」は禅門の理論について高い修行を積んでおり、禅について理解しており、世の中の変化に対応してちゃんと応用でき、自分だけではなく他の人も正しい道へと導くことが出きるということです。
第三の条件は、顔立ちが整っているということです。堂々とした態度をとることができる、お客さんの接待能力がなければだめですから。
 第四の条件は、昔は朝廷からの任命、今は国からの任命でなければいけないということです。これは唐の太宗「李世民」の任命から、現在に至るまで続いている制度です。しかし、清(しん)の時代、1666年から300年ほど管長不在の時代が続きました。しかし、その当時は、管長の次の「首座(しゅざ)大和尚」と「西堂大和尚」が代理で、管長の仕事をしていました。