ある期生の瞑想(少林寺の座禅)の授業の時に、「1つの事は簡単に自分は消える」、「自分と周りは1つになる、一緒になるという事」最後の結果はなかなか自分が消えない。実際本人が消えない結果を言う時に、当然に言わなくても私も分かります。普段、個性がかなり強い方ですから。
その時に私は、こういう説明をしました。実際に最後に消えるという事は、座禅の時だけの問題ではない、ただ座禅の技術ではな。ただ勿論座禅の技術で少しづつ消えるのもありますが、もっと多いのは、日常の生活の中に普通の修行のような、自分の人生の生きる目的、何の為に生きてるのか、そういうところをもし明確にしたら、または分かったら、あるいは本当の禅のような人生、必要な人生、人格になったらすぐに消えます。

消えるという事も、自分が消えるかあるいは雑念やある人は怖いなど、入静のそういうところは実際に共通の事は1つです。人間の表面意識はそのときに、自分の座禅の時に、多少自分の魂の、自分の精神の奥のものは実際に出ています。雑念を切ろう、根本的には自分を中心で、自分第一のそういう人生の人の普通の現象です。これは現代社会では不思議なことではありません。責められる必要も無い。ただそういう状態のところは自分が1番中心のそういう状態の人生になったら、だいたいトラブルも多いですし、当然に心はずっと不安で悩みが多いのは間違いないです。だから座禅は必要です。
座禅は心のトレーニングです。どういうトレーニングかというと、まず自分のいろいろな雑念やそういうものは少しづつ少なくなります。1つの物に集中する。なので今の協会の沢山の方法はみなイメージですけど、大きな目標は特別な潜在能力の開発以外に、禅の修行あるいは修行としての訓練の場合は共通点はだいたい1つのところにどういうふうに集中するかということです。1つに集中するのが出来たら、最後の1つの集中相手も捨てて、そうすると空の状態に行きやすい。

勿論、ある素質が凄い人はすぐに1度で空の状態、無の状態に出来る人もいますが、普通の人は出来ない。だからこれは禅にいく道です。でもその中の1番最大の敵は自分でなかなか心おさえるのが出来ない。座ったら雑念が一杯、不安で、あるいは自分なかなか自分の事が消えない。さっき話した自分が消えない理由は自分が大きすぎ。他のものと比べて自分が大きすぎ。ある意味人生は自分が1番中心。現代社会ではこれは普通ですけど修行者としてはこれは1番いけない。いつか自分の事が消えたら自分と周りは1つになる。自分の本性、空性、全てのもの全部 空(くう)の事が分かったら、自分はもう強調しません。勿論他のものの強調も必要ない。そういう状態で自然のままで自分の心と外部の宇宙、世界は1つになる。そういう状態になると本当の空の状態、空性は分かる。なぜ世界の本来の状態、禅の色々な状態は自分の悟りで分かります。そういう事です。なので私達の座禅は、1つは座禅の方法として、常に少しずつ毎日毎日やって、そうすると少しずつ変わります。

もう1つはやっぱり自分の人生感が、正しい位置に立ってるのが非常に重要です。何の為に生きてるかは、勿論一般的にアメリカなど西洋でも自分の為に生きてます。でも自分の為に、あまり自分の事が大きくなると多分周りの環境と他の人、自分の生きてる環境は、皆対立の状態になります。この対立の状態になると当然に色々問題を起こして、色々自分の心の悩みが増えます。こういう事はあるから現代人は特に日本の沢山の人は修行好きです。でも自分の修行の本質は何ですか。多少分かる人もいますが、でも分からない人も結構多い。なので少林寺の気功の中の静功(座禅)をよく練習して、そうするとこの問題は根本的に解決するのは理論的に出来ます。
でも、ある人は例えば練習で教えるものを自分の家に帰ってから練習しないですし、教える少林寺の考え方は自分の魂の中に入れない。自分は頑固で自分の人生の目的のままで、逆に少林寺はただ1つの技術、技だけで覚えたら、そうすると多分根本的なものは、まあそんなに変わらない人も当然にいます。だからこの問題は全て今の少林寺気功の指導員コースの中に理論的に全部解決出来ます。ただ自分どの位真剣にやる、自分真剣に練習する、そこから色々の結果は違います。色々ここから分けられます。これは私達練習の時に非常に重要な事。そういうところは前に大阪と他のところも、十数年前の教室もある人は怖い、瞑想の深いところ。実際に怖いというところは同じですよ。勿論怖いに対して技術もある。

例えば少林寺の何かのイメージやお守りの何かとか、でも根本的に分析して何が原因で怖い。やっぱり自分自身のイメージ、自分自身の肉体、自分の存在を大事にしすぎも1つ。同じもし自分の事は完全に忘れる事が出来れば怖いという感覚はは出ません。怖いの相手はやっぱり自分の事を失うという事ですよ。命を失う、これは何かの結果失うとか、そういうところしかないです。なのでそういう事も自分の根本的な人生
の目的、人生の目標から、根本から修行のような練習、目的のような練習、根本から真剣にやったら、多分同じで解決出来ます。
雑念が沢山だと、何となく練習の時に別のところへ集中し習ったイメージがなかなか出来ない。それは実際同じです。何故雑念が出るのか考える。何のものでも一杯入るのは、やっぱり自分は日常悩んでるものとか、まだ未解決の問題や、家庭の中や仕事の中や、自分の周りの事などだいたいそういう事。
なので一般の場合は国はどうなる、他人はどうなるかは少ない方です。なのでそういう事も同じで、もし自分の事わかって忘れて更に自分の心は全てのものに対して平常心の心の状態に悟1回したら、そうすると雑念は出るわけないです。なので自分が特に消えないという事はこれはある意味、瞑想の時にだいたい潜在意識に入る。意味はその人の本質を表します。自分が消えてないところは、ある意味人生観の中に自分はどういう立場かを表すと思います。なので解決も日常の修行と練習の時に自分を消して、自分の体や自分自身を少しづつ心の中に流して根本的に自分を1番大事に思わない。他のもっと重要なものを大事に思い、自分の信念や少林寺の信念などそういうレベルになったら、そういう人は精神の拡張、精神のレベルは当然にすぐに普通とは違うくらい高くなります。その人のすぐ見て人格と雰囲気と、周りを見る感覚は変わります。自分自身も自信を持っているところと、あるいはいろんなものと変わります。是非そういう面で参考にして練習してそうすると皆さんの人生の順調と、これからの人生の幸せに全て関わります。