昔の中国の修行者は功徳を理解して実行する人の多くはあまり生活が豊かではありませんでした。でもその人は物質的には他人を助ける力はないですが、でも周りの人が迷い悩んでいる時に、一つの言葉で世の中の事を分かるようにするように出来ます。一つの言葉でも相手の苦しみを救うことが出来ますので、これは功徳の一つです。功徳は仏教の中の言葉で禅の根でもあります。実際功徳を積んだ人は、物質的には貧乏ですが、人生の深いところの知恵は人より持っていますので、大きな道理は理解しています。だから世の中を助けたり、迷っている人がいたりしたら、解決してあげる事ができます。 修行を積んだ人は経済的に助ける事はできませんが、その人の修行方法は多くの人に対して精神の柱になることが出来ます。他人の迷っている事に対しては明るい道を指して、相手の迷っているところを改革する事が出来ます。これは無料の功徳です。功徳は美しい一つの徳です。 また私は授業のときに皆さんによく話をします。一般の人は寄付ということを考えた方がいい。また正しい道を案内する事は経済的に功徳を積むこと以上の寄付と考えられます。少林寺の健康法、少林寺の精神と肉体を習い伝える事は最高の功徳を積むことであると思います。