一時の興味で何かをやるが、少しやってすぐに辞める人は、下がるわけでもないが、進む事とも言えない。一時の感情で悟りの事に興味を持って、悟りの事はなんとなく外部の実物を影響或いは迷っている状態になりやすい。これは大きい悟りの状態ではない。一時の悟りは、根本的な悟りではない。
人間の情とか欲とか、元々揺れています。もし、それに従って揺れていると、永遠に続ける行動と悟りを守る事はできません。
仏教の修行は日常の修行の道も表します。一般の人の考えや人間の行動は意志で決まります。でも伝統文化の中にある考えでは、論理・道徳の中に人間の心が考えます。仏教の考えには一人一人ごとに六根の感覚があります。例えば、目で見る、鼻で嗅ぐ、耳で聞く、舌で味見る、体の感覚や意識の感覚など。六根から感覚により六性・六情が生まれます。この六常の相手に、六識があります。目耳鼻舌、身体、意識の色々な作用があります。もし自分の六情・六識から見た悟りは本当の悟りではなく、六根から悟るというのも、籠の中の鳥と同じで、外に飛んでいないようなものです。ですから修行とか練習とかは必要です。