| 連載「少林寺の秘話」 |
| 22.ダルマ大師は少林寺武術の創始者ですか 「後編」 特に北宋の時代、少林寺の管長の「福居大和尚」は毎年一回の割合で、三年間連続して、中国全土の十八流派の有名な武術家を少林寺に集めて、武術の交流を行いました。各流派の長所を集めて整理し、最後に一つの本「少林拳譜」をあらわしましたが、その本は現在まで伝えられています。これは私がこれまで出版した本の中にも書いてありますので、興味を持たれた方は読んでみてください。 また、「少林寺志」の中に記載があるのですが、金の「哀宗(あいそう)」正大時代(1224〜1232)に、少林寺の「覚遠(かくえん)和尚」は、十八流派の拳法に精通していたばかりでなく、元々あった「羅漢十八手」を七十二手に発展させました。さらに、拳法の研究をさらに進めるために、普通の人に変装して少林寺を出て、有名な武術家を探しては交流をしていました。その旅の中で覚遠和尚は、中国の西安の近くにある「蘭州(らんしゅう)」という町で、とある老人に出会いました。その老人「李叟遠(り・そうえん)」は年をとってはいましたが、非常にレベルの高い武術家でした。その老人は、覚遠和尚に「白玉峰(はく・ぎょくほう)」という素晴らしい武術家を紹介してくれました。老人とその息子二人と、白玉峰の四人は、覚遠和尚と共に少林寺へ行くことになり、少林寺武術の発展に、おおいに貢献することになったのでした。 覚遠和尚は、各地の高名な武術家を訪ねて交流し、各流派の長所を集めて、少林寺の武術をさらに高めてより良いものにしたので、少林寺の僧侶は今も「少林寺武術、中興の祖先」である「覚遠上人(かくえん・しょうにん)」と呼んでいます。また李叟遠の息子はその後出家して、「澄慧(ちょうけい)禅師」と呼ばれました。白玉峰は、少林寺の歴史の中でも有名な「秋月禅師」と呼ばれている人のことです。 千年余り、少林寺の武術には様々な変化が見られましたが、基本的な五つの特徴は全く変わっていません。その五つの特徴とは次の通りです。第一は、「拳打一条線」つまり、あらゆる動きは一つの線上になされなければならないということです。第二は、「拳打臥牛地」。つまり、動ける場所の広い、狭という制約を受けず、狭い場所でも自分の武芸の威力を発揮するということです。第三は、「打人不見形」。つまり攻撃の手は早く、点を鋭く突き、内側は静かで外面は猛々しく、攻撃性が強いということです。第四は「借力打人」。つまり、相手の力を利用して逆らわず、少しの力で大きな効果をあげるということです。第五は、「拳打一口気」。つまり、動きの緩急に関わらず、ひと呼吸で行うということです。以上にあげた、この五点こそが、少林寺の武術と他流派との最も明らかな違いです。 千年余り、少林寺の武術は常に発展を続けてきました。実践を真摯に結合させ、武術各流派の長所を広く吸収し、常に改善し、かつ高めてきたのです。現在も少林寺は、その周辺にある数多くの武術学校と共に協力しあって、絶えず発展、向上を目指しています。だからこそ、少林寺武術は中国武術の集大成であり、エッセンスであると言えるのだと思います。 |