| 連載「少林寺の秘話」 |
| 29.観音菩薩伝説のいろいろ(2)
観音様のインドにおける御姿は、みなヒゲをたくわえており、男性の姿をしていらっしゃいます。中国の青海省(せいかいしょう/シルクロードがある西域の近く)あるタール寺にある観音像は、インドから伝来した古い姿をしていらっしゃるので、ヒゲをたくわえています。では、中国の観音様はいつ女性の姿になったのでしょうか? 中国の歴史書である「北斉書」には、北斉(南北朝時代の北朝の一つ。紀元550〜577年)の武成帝が病気になった時、武成帝の夢の中に観音様が非常に美しい女性の姿で出ていらっしゃったという故事が書かれています。ここから中国では、観音様が美しい女性の姿をとって表現されるようになったようです。 まあ、これは伝説のお話しです。実情は次にお話しするような事情がありました。中国の南北朝時代(紀元420〜589年)に、仏教が中国で非常に盛んになり、女性の信者も非常に増えました。そういう状況に対応して、女性の信徒も仏教を学ぶことによって功徳を積めば、阿弥陀如来のお導きによって西方浄土(=極楽)に行くことが出来るということをアピールする必要が出てきたのです。そのためには、阿弥陀如来のそばに女性代表を見つけなければいけません。そこで、武成帝の夢を口実にして、観音様の国籍や民族、それに性別といったものを、中国人(注意:ここでは、中国の漢民族)の仏教徒の願望にあわせて、徹底的に変化させてしまったわけなのです。 北宋(紀元960〜1127年)の時代に、観音様の前世の姿は、伝説によって、春秋時代(紀元前722〜紀元前482年)の楚の荘王の第三王女である「妙善」ということにされてしまいます。「妙善」は幼い頃から親孝行な子供で、両親からもまた愛されて大事に育てられていました。「妙善」が成人した時、父の荘王がすすめた結婚話を拒んだため、罪を問われ、最後には追放されて出家してしまいます。後に荘王は病気になるのですが、どんな薬を使っても病気が治らず、もう死も間近だというところにまでなります。その時医者が荘王に「王の病気は、最も近い親戚の方の手と目があれば治ります」と言いました。そこで荘王は次女を最も近い親戚であると思って呼びましたが、次女はそのようなことで自分の手と目を使いたくないといって拒否しました。長女も同じように拒否しました。最後に荘王は第三王女のことを思いだしました。第三王女「妙善」を宮廷に呼び出したところ、「妙善」は父王を見るや、短剣を取り出して自分の片方の手を切り落とし、また自分の片方の目をくりぬいて、荘王の病気を治しました。そして、「妙善」自身も功徳を積んで悟りの世界へと入ったのです。荘王は病気が全快した後、喜んで第三王女「妙善」に「南無大慈大悲救苦救難全手全眼仏」という称号を授け、また仏像もつくって慈恩大仏寺に収めました。しかし、仏師(ぶっし/注意:仏像を作る人)はこの命令を聞き違えて作ったため、「千手千眼観世音菩薩」が出来あがってしまったのです。 第三王女は手を一本の切り落とし、目を一つくりぬいたので、その事にもとづいて、「手を一本と、目を一つ持っている」という意味で仏像を作らせたのですが、仏師は発音を聞き間違えて、「千手千眼」にしてしまいました。 |