第11回少林寺訪中旅行 禅のおはなし
少林寺第34代主席
延達師
13期生少林寺旅行 2日目 延達師のお話 「禅について」スクリプト

秦西平先生:こちらは延達師です。私と同じ少林寺第34代、主席です。彼は河南省の仏教協会理事で、中国の仏教大学を卒業しました。

 皆さん、ようこそ少林寺にいらっしゃいました。歓迎の意を表します。少林寺は仏教の歴史上、重要な立場にあります。禅宗の発祥の地です。2500年前、仏教はインドから始まりました。禅宗の発祥には一つの物語があります。
 仏陀、つまりお釈迦様は、初めて霊鷲山で仏法を説いたとき、一言も言葉を話しませんでした。だから弟子も皆、お釈迦様が何をしているか分かりませんでした。皆が静かにしている中で、お釈迦様は一輪の花を持ちました。お釈迦様の一番弟子である迦葉だけがそれを見てにっこりしました。他の弟子は皆、意味が分かりませんでした。なぜ、迦葉はにっこりと笑っているのか。これは実際、心から心へ伝えるという禅法の一つです。これが禅宗の一番最初の形です。お釈迦様のこの話は、自分の仏法を(言葉を用いず心から心に)伝えるということを表しています。迦葉は禅宗の第一の僧だと言われています。
 このような心から心へ伝えるという方法は、インドで28代行われました。皆、この禅法を修行して最後は羅漢になります。インドで28代目は達磨大師です。第27代である達磨大師の師は、彼に次のように言いました。「あなたの任務は中国に禅宗を伝えることです。禅法はあなたによって中国で盛んになります」と。そして達磨大師は船に乗って中国に来ました。当時の中国南朝の皇帝は梁の武帝でしたが、達磨大師はこの皇帝に禅宗を理解させることが、禅宗を一番早く広める方法なのではないかと考えました。実際、梁の武帝は仏教に詳しく、多くの寺を建立し、また仏教のためになる色々なことをしていました。だから達磨大師が来たときもすぐに迎えに行き、次のように質問しました。「私は多くの寺を造りましたが、私に功徳があるでしょうか」。達磨大師は「あなたに功徳はありません」と答えました。なぜ仏教に良いことをしたのに功徳がないのでしょうか。それは自分の功徳のためにこのようなことを行ったからです。自分の執着心から行ったからです。つまり心が乱れている状態ですから功徳がないのです。
 当時の中国では達磨大師のこのような考え方はあまり受け入れられませんでした。色々と大きな良いことを行えば功徳になるという考えが一般的だったのです。それで結局、達磨大師は嵩山に来て、達磨洞で面壁九年をすることとなったのです。物事には色々な原因と縁があります。因と果があります。達磨大師は梁の武帝とは縁がなく、だから嵩山に来て面壁九年となりました。実際この因縁はどういう意味なのでしょうか。先ほど、達磨大師は禅宗を伝えるためにインドから中国に来たとお話ししました。ですから達磨大師はインドの禅法を伝える人を探しました。それが嵩山の第2代となる慧可(えか)という人だったわけです。
 達磨大師はインドでは28代ですが、中国では第一代になります。達磨大師は一つの予言をしました。「私の禅法は第六代までは師から一人の弟子に伝えられますが、第七代の時、広く一般に伝えられ中国全土に広まります」と。達磨大師の伝える禅法とは、本当は何なのでしょうか。禅とは中国では「静慮」と翻訳されます。静かに反省し考えるということです。「慮」とは、例えば河の水を網ですくうようなことを思い浮かべてください。網を使うと、水は流れて大きなものだけ残ります。そのように雑念を払って、心静かになったとき何かをしたら、たぶん多くのことは邪魔もなく成功します。でも心静かになるのは非常に難しいことですね。
 悟りには、だんだん悟りに至る場合と急に悟りを得る場合があります。本当の修行は、すぐに効果が出るのではなく一歩一歩やるものですが、達磨大師の禅法は瞬間的に悟りに至ります。これは難しいことですが、当時の仏教ではとても受け入れられました。 なぜなら色々な細かくて大変なことがなくなり、瞬間的に悟りを得ることができるからです。
 仏教の修行の心は主に二つあります。自分の心を静かに安定させるということです。禅の修行の場合、全ての執着を捨てる。一切の、例えば、欲望、名誉とかお金といった執着を全部捨てるということです。私たちの静かなところに仏性---仏教の本性はだんだん現れます。このような中国の禅宗は沢山の人に影響を与えました。
 ところで、伝統的な禅宗には必ず殿堂---禅の部屋があります。インドのお坊さんは皆、山の中とか、あるいは木の下で修行を行いましたが、中国ではこのようなやり方は合わないですから、皆を呼んで一緒にどこかの部屋でやります。中国の場合、禅の殿堂あるいは禅の部屋で、修行中に話すことはできないです。一言も言わない。毎日の坐禅は12時間以上です。これは12本のお香がなくなるまでの時間です。一本のお香で1時間ですから。12時間、ただ自分の坐禅を行います。他の何時間かは禅師、偉い人が皆さんに教えます。禅の修行はそのようにやります。大体食事とトイレに行く以外は、殆ど殿堂の中でこのように坐禅をして過ごします。 話してはいけない、冗談を言ってはいけない、あるいは寝てもいけない。なぜそのようにしなければいけないかというと、お互いに監督しあって、自分の心から雑念を払うのです。でも人は怠けやすい。実際この修行の一番の敵は自分です。今一般の人は、なかなか自分の心の魔、心魔に勝てないです。だから自分の真の力と一緒に他の皆の力を借りて、自分の心の魔性と悪魔に勝ちます。
 この心の魔とは何でしょうか。それは雑念とか欲望、そういう悩みのことです。坐禅の時間が長くなると、だんだん心が静かになる。そして、霊力がだんだん高まります。このような時、色々な状態になります。はじめの頃は八触が起こります。例えば坐禅の時に、ちょっと寒くなるとか暑くなるとか、そういうことがあります。あるいは痒みを感じたり、すごく眠くなる。本当に眠いわけじゃないですが。そういう現象があります。これは初めて坐禅をするときの現象ですから、よく練習したら、3ヶ月間でこういう現象はなくなります。だんだん心の中に、心から楽しいという感覚が出てきます。初めてのときは足も結構痛いですが、3ヶ月で足もだんだん痛くなくなります。そうすると1時間とか3時間とか足を組めるようになります。ずっとこういう風に続けて座ったら、たぶん、だんだんもう食べたくない、あるいは眠くても眠たくない、そういう風になります。こういう心の状態は、実際どういう意味でしょうか。それは常に喜ぶ、仏法から喜びを得る、という意味です。そうすると坐禅修行は、非常に気持ちいい、非常に楽なこととなります。
 人間には精・気・神があります。精は精力・精神力、気は気功の気、神はカミ。人間には元気があります。もし座禅を正しい方法で行なったら、気はだんだん強くなります。元気がいっぱい出たら、食事をしなくても平気になります。道教の断食は、無理に断食をするのではなくて、自然に練功によって断食になるのです。練功、坐禅のときに四日間、何も食べず飲まずという経験があります。でも、その気の考え方、思想が非常に大事ですから。そういうときは食べなくても慌てないで、できるだけ自然にまかせる。もし食べたくないなら食べずに、あんまり慌てないでください。でも一つ大事なことですが、心は是非静かにしてください。もしその時に悩みが出たら、心が乱れたら、今のそういう状態はすぐなくなります。それにこのような状態になってもあまり大喜びし過ぎないでください。大喜びしたら、この状態は消失します。ずっと心静かな状態でいることが大事です。
 坐禅を行う人の多くには色々な真実、特別な能力があります。なぜかというと自分の心が静かだからです。だから昔のこと、今のこと、将来のことが予知できます。お坊さんが、前世、今世、来世のことを予知できるのも同じ原因です。坐禅、あるいは気功練習が進むと、もっと沢山のことが分かってきます。そうすると世の中のこと、世界のことがもっと全面的に、もっと深く理解できます。実際わたしたちは勉強はしてないです。例えば本などは読んでいない。でもこの世の中のことが分かります。これは智恵ということ。禅定、あるいは坐禅。こういう修行によって智恵は生まれます。智恵には大智恵と小智恵があります。
 そもそも悟りとはどういうものでしょうか。悟りには色々な段階があります。色々なレベルがあります。悟りとは本当に分かるということ。明瞭に分かるということ。「明心見性」、自分の心と自分の本来のことが分かるということが悟りです。この分かるということが智恵です。例えばあるお寺の管長が、105回の小さい悟りと5回の大きい悟りを経験したとします。この小さい悟りと大きい悟りとはどうゆう意味でしょうか。小さい悟りは、昔、自分が分からなかったことが修行によって分かるようになった、そういうことが小さい悟りです。大きい悟りは必ずこういう小さい悟りが集まる、揃う、そういう段階を経なければならないです。
 例えば体の元気。この気、元気がたくさん強く溜まったら、私たちは元気になって、心も非常に静かで深く入静できるようになる。そうすると必ず沢山のことが分かります。心が静かとはどういう意味でしょうか。静かな湖みたいな状態です。湖が静かになると、山とか、あるいは木とか星とか全部湖面で反射することができます。何でも湖の表面に全部映すことできます。私たちは心を是非この湖の水のように静かにしなければなりません。修行しなければ皆さんの心は湖じゃなくて海になります。ある人は台風が来ている海です。心が乱れる状態ですから。私たちは必ず自分の心を湖のように静かにすることが必要です。台風で大きい波になっているところに映ったものは、当然見えないです。だから仏教の修行では心を水のように静かにします。そうすると自分自身の問題が見えますから、修行の最後はいい結果になります。
 修行すればもちろん長生きします。なぜならその時自分の気持ち、心の奥は非常に楽だからです。もし快楽の気持ち、快楽の心になるとたとえ癌ができても自然に消失します。癌の原因も私たちの悩みにあります。心が乱れる状態は、体にとって特に悪性のものを成長させます。もし私たちが快楽、良い気持ちの状態になると、体の精気、気が体の全ての病気を倒して消します。心の快楽によって体の中の気がよく流れて、自然に長生きになります。少林寺の武術でも少林寺の功夫でも禅と同じです。練習は同じように心を静かにするためです。だから気功と少林寺の坐禅と少林寺の功夫武術をやれば皆さんは絶対長生きします。
 皆さんは絶対快楽、心から楽になります。あるいは皆さんは悟り、無になります。無ということは空の神様ではなく、私たちと同じです。悩みがないのはどういう人か。体に非常に柔軟性があって、心がすごく静かな人間です。心は湖のように静かで色々なことを映すことができます。でも心が海、台風のようだとすると、これが人間と無の本当の区別(違い)です。だから努力して自分の心を湖のように静かにする。もしある日、あなたの心が静かになったら、あなたは無になります。皆さんは将来そうなります。皆さんが早く快楽になって早く無になるように祈ります。
 もし質問があったら、どうぞ。

質問:禅などの中国仏教というのは大乗仏教ですが、禅をやることによって、どうして他の人を救うことになるのでしょうか。

解答:仏教には確かに大乗仏教と小乗仏教があります。小乗仏教は出家です。だからさっきの話でインドの方は、みんな木の下とか山の穴の中で修行して、皆さん悟って皆さん無になって、でもそういう悟りは、社会で他の人を何も助けない。何も他の人のプラスにならない。そういう人は話しをしない。他の人に教えない。だから無になる意味はあまりない。意味は結構小さい。中国になると大乗仏教になります。自分の悟りができたら自分の修行の知識、自分の経験を他の人に伝えて教えます。たぶんそういう人は教えたり色々助けたりで忙しい。たぶん自分はまだ悟れてないかもしれない。今自分の修行の時間があまりないかもしれない。でも沢山の人を助けましたから、いいことをしました。これは自分を捨てて他人に利益を与える精神ですから、こういう精神が大乗仏教の精神です。自分のためでなく他人のためにするのが大乗仏教の精神です。こういう大乗仏教の精神は非常に中国で流行ってます。歴史的に、これは大乗仏教と小乗仏教のほんとうの区別です。少林寺も大乗仏教ですから、自分の安定、楽だけを考えずに、多くの大衆の苦しみの状態を助けるという精神が盛んです。だから中国は大乗仏教です。

質問:そうすると自分がまだ悟っていないときに人に教えると、間違ったことを教える可能性があるんじゃないでしょうか。

解答:そういうことは絶対ないです。中国の仏教はお坊さんに非常に厳しい要求があります。もし無の話を経典と一字でも違って伝えると、悪魔の話と考えますから。本当は他人に伝える知識を高僧は持っている、悟りを持っています。そういう人は当然こういうことをよく話します。
 大乗仏教のもう一つの特徴は、坐禅ではなくただ普通の状態のときに、日常の生活の中で心静かになれたら、もっと悟り、無になりやすい。生活禅ということ。歩いているときも座っているときも寝てても仕事をしていても、みんな禅があります。私たちには普通、仕事があります。坐禅の時間は少ない。仕事中に自分の心がちゃんと静かであれば、これは禅である。禅は静かな心ですから。、そうすると仕事の効率も高くなります。心静かになったら間違いはしなくなりますから、だから大乗仏教はどこでやっている人でも生活しやすいと思います。謝謝。




以下、帰国後順次掲載予定です。お楽しみに!
*永信管長のご挨拶
*秦西平の訪中日記 

*写真集




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