≪2005年全米気功協会招待講演 デンバー〜セドナ≫
  参加者レポート
【「ご縁」なこぼれ話】
        アラスカ在住 第12期生/指導員コースU在籍 伊藤ひさこさん(動功認定指導員)

7月30日、土曜日の夕方、演舞会場でデモンストレーションが始まる直前のことでした。進行担当のR氏が近づいてきて言うのです。「問題が起こった」と。先ほど、先生が持ってきた「虎龍」と「羅漢神功」の音楽が入ったカセット・テープを彼に渡したばかりだったのですが、実はテープレコーダーがないということに今、気がついたのです。ほれ、見たことか。一足先にコンフェレンスに到着していたわたしは、この人に何度も音楽のことを確認していたのですが、忙しさにかまけて、結局こういうことになってしまったのです。テープレコーダーを持った先生と、あわてて舞台裏に駆けつける。約200名弱の人々で埋まる会場は、デモンストレーションが始まるのを今や遅しと待っています。コードをつないでスイッチを押しても、会場のスピーカーから音が出ない。「だめだ、もう一度!」「いや、電池だ」先生がシャカリキになって電池を入れ替えようとする。「先生、違う、電池じゃない」先生、電池をおっこどしながら、なおも執着する。「この人たちの言ってることがわからないよ。もう、時間切れだ」音響担当の青年がパニくっている。「もう一度トライ。これが最後ですよ」…やっぱり音が出ない。「That’s it! 先生、あきらめよう」そこへ、先ほどのR氏が自分のCD『ZEN…』を持ってきました。虎龍には中間の速さの曲、羅漢には、中間だけど力強い曲とだけ指定して、わたしたちは客席へと引き上げたのでした。そういうわけで、わたしたちは聞いたこともない音楽をバックに演舞をすることになったのですが、そのおかげかどうか、グループ演舞は音楽にぴたりとはまり、見事にキマったのでした。その後に続く先生の演舞がさらに引き立ち、最後には会場総立ちの拍手喝采! グループ全員、合掌で皆さんの拍手に応えながら、わたしは思わず両拳から親指を立てる「やったぜ!」ポーズをしていました。

 すべての出演者のデモンストレーションが終わったあとの休憩時間に、先ほどのR氏がやってきました。「どうやら、音楽のほうはうまくいったね」そして、先生に向かって、こう話し始めたのです。
「1995年の少林寺建立1500年の記念行事に、わたしは少林寺を訪ねました。ある日、少林寺の近くの野原を一人で散策していたら、一人の中国人の男性にばったりと出会ったのです。名前も知らないその人から、わたしは半日、その場で気功の技を習ったのでした。あれ以来、その人とは二度とお目にかかることがありませんでした。今日わたしが披露した気功演舞の一部は、あの時、その見知らぬ中国人から教わったものなのです」
「それは、きっと『ご縁』というものです」先生は、R氏の話を聞き終えると静かに言いました。「あぁ、『赤い糸』だな」R氏が返しました。
 今回のデモンストレーションは、当初30分という予定でした。そのため、演舞の前と合間に少林寺や先生の紹介を入れるため、わたしは英語で原稿を作成してきました。その中に、先生がよく使う「ご縁」という言葉を英語でうまく説明するために「赤い糸」という例えを使ったのです。アメリカ人の知人によると、「赤い糸」という例えは、アメリカにはないということでしたが、わたしの原稿を読んでいたR氏は、わかってくれたようです。演舞前までは、なんとなく義務的に連絡を取っているというような態度が伺えたのですが、わたしたちの演舞を見終えた後、この人の態度ががらりと変わりました。心を開いてくれたのです。
 それからというもの、R氏は先生の姿を見つけるたびに「赤い糸、だぞ」と少し離れたところから先生を指差し、武術のポーズを見せておどけるのでした。

 

今回のコンフェレンスでは、いくつか不思議なことが起こりました。去る4月、わたしは日本からアラスカに帰って以来、この7月末の全米気功協会に先生を参加させるために、協会事務局共々大変尽力を尽くしてきました。「ご縁があったら、行けるでしょう」先生は、そう電話で言っていました。わたしは現地の知人の助力を得て、全米気功協会に宛てる英文の手紙を作成しました。幹部一覧の住所の中に、アラスカ州アンカレッジ市在住で、元わたしの太極拳の先生D氏の名前があったので、この人にも同じ手紙を送付しました。D氏からの返事はなく、全米気功協会から正式な招待の通知が来たのは、6月に入ってからのことでした。
 3年前まで、わたしはアラスカ州クリアーという散村に住んでいました。そのクリアーから現在住んでいるフェアバンクス市まで130キロ運転して唐手を習いに通っていたのですが、同時に約50キロ離れた南のヒーリー町でも太極拳を習い始めました。そのときの先生がD氏でした。彼は今でも数ヶ月に一度の週末、アンカレッジ市から450キロ車で運転してきては、太極拳と気功を教えています。わたしはフェアバンクスに引っ越してしまったので、それきり会っていませんでした。そのD氏が、今回の全米気功協会10周年記念コンフェレンスの幹事だったとは、コンフェレンス会場でパンフレットを受け取るまで知りませんでした。先生の招待云々に関して、この人の意見が大きく反映されたことは疑いありません。約2年半ぶりの再会で、30代のD氏の成熟ぶりがうかがえました。なんだかとっつきにくかった彼が、幹事という大仕事を負かされたこともあってか、今回初めて親しく口をきくことができたような気がします。「(お互い) 成長したね」とからかうと、「ウハハハ…」と大笑いしました。
 わたしは、このD氏から、始めて瞑想というものを習ったのです。D氏の週末の太極拳のクラスは、いつも瞑想から始まりました。6年ぐらい前で、まだ英語がよくしゃべれず、先生の言っていることもいまいち飲み込めなかったので、わたしはこの時間が苦手でした。D氏はカウンセラーという仕事柄のせいか、よく椅子を囲んで生徒たちに瞑想の感想など長く話し合わせました。わたしはそれがさらに苦手で、瞑想が終わりディスカッションに入っても、輪の中で眠ったふりをしていました。とんでもないところに来てしまったな、と思ったものです。コロラドで再会したD氏に、わたしは改めてお礼を言いました。「以前は瞑想がとっても苦手だったんだけど、今は、それがとても大切だということがわかりました。教えてくれてありがとう」と。

 こんなこともありました。
 日曜日、大学構内の食堂で、みんなと昼食をとっている時でした。後ろのテーブルは、同じ宿舎に泊まっているなぎなたのグループでした。袴をはいている、りりしい姿のアメリカ人らを秦先生は珍しそうに眺めていました。「あれ、日本の人もやってるんだねぇ」先生が、わたしの真後ろで立ち話をしている人の袴に書かれている名前を見て、そう言いました。どれどれと、わたしもぐるりと後ろを向いて、袴の右上端に書かれている名前を捜しました。「田中ミヤコ」……あれっ、ひょっとして……袴から、小柄な女性の後姿を目でたどりながら、白髪交じりのおかっぱ頭を確認すると同時にわたしは立ち上がり、声をかけていました。「田中先生!?」振り向いた田中先生は、一瞬キョトンとしましたが、「アラスカの…」と自己紹介したら、すぐ思い出してくれました。「知り合いでした」と少林寺の人たちに紹介すると、皆さんもびっくりした様子でした。なぎなたの大会はすでに終わり、この昼食を終えたらコロラドを発つところだったというのですから、先生が袴の名前を読んでくれなかったら、わたしたちはお互い真後ろにいても気づかないで、すれ違ったまま会うことはなかったでしょう。
 6年前、わたしはカリフォルニア州のオークランドに用事で行くことになった時、武術の本で名前を知っていたバークレーの田中先生の道場を訪ねたことがあるのです。唐手にのめり込みながら太極拳を始めていた頃ですが、さらに、なにか一生続けられる武術はないものかと、模索していたところでもありました。棒術が好きだったので、いろいろ本を読んで、なぎなただったら、80歳の女性でも続けていると知り、興味を持ったのです。わたしは田中先生に電話をかけました。先生は快くわたしを迎えてくれ、彼女が指導している市民ホールの「道場」で、なぎなたの体験練習をさせてくれました。アメリカ人生徒らは、きちんと正座をして、日本人のわたしよりも礼儀正しかった。皆さん、とても上手に練習しているのに、「だめだめっ!」田中先生には、一瞬のなぎなたの振りのずれも見えるようで、静かでおだやかながら、厳しさが伝わってきました。
アラスカでは、なぎなたをやっている人がいません。パートナーがいなければ練習は難しく、結局興味本位だけで終わってしまいました。田中先生とはその後次第に遠ざかって、音信普通になっていました。「縁」というものは、自分が思っていようと、いなくても、ある日、唐突にやってくるもののようです。
 もう30年以上もアメリカ各地の大会に出かけ、なぎなたの普及に貢献している田中先生ですが、日本でも大会などのためによく赴かれるそうです。秦先生を紹介すると、とても興味を持って、いつかカリフォルニアに来ることがあったら、なぎなたの会と気功グループの交流をしたいとですね、とおっしゃってくれました。アメリカで日本の武術を広めているという面では大先輩の田中先生。これからアメリカに少林寺の気功を紹介していこうとする秦先生がコロラドでこういう方に出会ったのも何かのご縁だと思われます。今後なにか、いいふうにつながっていってくれればいいなと願っています。
 
今のところ、1年に一度しか日本に帰国できないわたしは、先生がアメリカに来られるときに、なるべく出かけていくようにしています。気功を始めて間もない2002年には、ラスベガスの全米審美歯科学会に赴き、コンフェレンスの合間に「鶴功」の一部を教えてもらいました。去る3月の中国少林寺の旅行では、初めて会う12期の方たちと「鶴功」演舞の仲間入りをさせていただき、ホテルのロビーでは「虎龍」のテストを受けました。定期的にクラスに通えない分、旅の行く先々が、わたしの「特別講座」となります。3カ月から長いときは1年以上、先生や他の生徒の方々と会うことがありません。その間は、習ったことを忘れないように、繰り返し一人で練習するだけです。しばらく会わなくても、先生は、わたしが練習しているかどうか、一目で見抜いてしまいます。次のことを教えてくれるということは、「ちゃんと練習をしているな」という暗黙のOKなのだと思っています。
 アラスカからコロラドまで、飛行機に乗っているだけで6時間以上。待ち時間を合わせると一晩かかったと言うと、「日本から中国へ行くよりも遠い」と先生はびっくりしていました。同じアメリカ国内でもアラスカは、どこへ行くにも、やたら遠いのです。高い授業料だと思われることでしょう。でも、日本に帰ると、短い滞在日数の中で、クラスに参加できるのはせいぜい2,3回。皆さんとゆっくり話す時間もない状況に比べると、こうして中国旅行やコンフェレ
ンスなどに同行すると、その一時一時が、1年分ぐらい凝縮した時間に思えるのです。会うたびに、先生や皆さんとの絆を深く感じ、遠くにいても、皆さんとの縁を感じます(なんて書くと言いすぎかしら?)「虎龍」の型は、今回の演舞で、完全に覚えました。次回までの宿題として、指導員コースUの易筋経のビデオをたくさん受け取りました。
 英語で「少林寺認定動功指導員」の名刺を作っていただき、とてもうれしかったです。9月から、アラスカ大学のシニアプログラムで、また高齢者のボランティアのクラスが始まります。さぁ、がんばって練習しなくっちゃ。

 それでは、皆さん、またお会いできる日まで。


(発信日:2005.9.2)


【ハプニング連続の巻】
        byあっきー(嵩山少林寺認定指導員12期/NPO日本少林寺武術気功連盟研究・指導チーム)


今ここに無事でいられることに感謝します。
今回の旅行はびっくりするほどハプニングの連続でした。
行きも帰りも予定の飛行機には乗れず、
現地では道中暴風雨やら、大風には遭うはでぐったりした夜の翌朝は
午前3:30起床。
うそでしょ(涙)、、って感じでしたが
火事場の馬鹿力が働いたのか、普段早起きが苦手な私ですが
ちゃんと起きられ、何とかみんなで帰国するため空港へ到着しました。
そして欠航。・・等々。
結構サバイバルな旅でした。
ただ大方のお天気には恵まれ、空気、景色、空の色も美しく、
リスや野ウサギや珍しい野鳥に出会えたことはとても楽しく感じられました。
コロラド大学での評判も手前味噌になってしまいますが好評で
無事に帰って来られた今となっては、どれも貴重な良い思い出です。
極め付き、パワースポットと言われるセドナはやはり素晴らしかったですし。
先生、同行の皆様、お世話になりまして本当にどうもありがとうございました。

(発信日:2005.8.10)

【旅行記:Iさん】

 昨年5月にガンで大切腹、さらに11月に転移して再手術、そんなときに縁あって全日本少林寺気功協会・秦先生とお会いし、今は月に何回か外気功を受けています。さて、7月のはじめ3日間ほどの湯治旅行の帰りに予約してあった外気功を受けに新宿にむかうときの事です。
事務所の机にセドナと書いた紙が貼ってあったのをふと思い出し「そうだ、セドナにいかなくちゃ」そう思ってしまったのです。それで、治療の後セドナに行く予定あるのですかとお聞きしたら、なんと今月末に出発とのこと。
えーとえーと私もいってもいいですか?いいけれど今日か明日には確実な返事が欲しい。という展開でほとんど他のことはなにも知らないまま同行させていただくことになりました。

さて、何とかコロラド大学に着いて、私の分も名札やら日程表など渡されてあら大変、何をすればよいのかしら・・・それにしてもこんな私も同行できるなんて懐が深い!
 翌日は朝の練功デモから記録係として写真を撮りました。ボルダーの朝は空がとっても奇麗。今日は夜に会場ステージで表演の日です。何と、予行練習?で初めて皆さんの演技を見せていただきました。その日の素敵な出来事は、時間を計るために秦先生が芝生の上で演技なさるのを、私一人で見学したことです。うーん、贅沢な時間のひとりじめ・・・そして、本番の時間。ビデオ係兼写真係で参加しました。時間係として皆さんが練習するのを何回か見ていたのですが、本番の時は練習の時とまるっきり違ってぴったり一つになって何か一つの生き物を見ているような感じでした。どうか、うまく映っていますように。そして先生の演技。会場がシーンとなってそこにいる全
員の意識が先生に集中しています。まるで先生一人と会場にいる全員とのぶつかり合いを見ているようで、快い緊張を味わいました。

ボルダー最後の日は、地図を見ながらの散歩。前日も軽く歩いたのですが、ここボルダーはロッキー山脈の麓で西の方に歩いていくと自動的に自然公園とぶつかります。
様々な別荘が並ぶ中を通り抜けるとボルダー渓谷にでました。川ではホンの狭いところなのですがカヌーをやっていたりタイヤのチューブを浮袋にしていい大人が本当に楽しそうに遊んでいます。人が誰もいない奥の方まで行ってオカリナを吹いたり奇麗な小石を集めたりして私も存分に楽しみました。そして帰り道、渓谷に添って遊歩道
がついていたのでそれをたどって帰ってきたのですが、ちょっと離れれば普通の市街地なのにそこだけは奥深い山のなかの様な雰囲気でとても気持ちの良い小路でした。

さあ、いよいよセドナです。最初のスポットに着いたときに立っていると地面がグラグラするような感じがして、びっくりしました。このスポットはリゾートホテルの敷地にあって、ぐるっと切り立ったあのセドナの赤い石に囲まれています。どこを向いてもセドナの特徴的な風景が目に入り歩き回っているとそれだけでエネルギーがシュウシュウと入ってくるような気がします。次のスポットは水の流れる場所。川遊びをしている人につられて思わず靴を脱いで川に入ったのは私と後もう一人。あの赤い石は砂になるととてもぬるぬると滑りやすくてすぐ前の岩場まで行きたかったのですが断念しました。ここはとてもじっくりと言うか柔らかに染み込んでくるような感じでした。そして今日最後のスポットは夕日を見るために大勢の人が詰めかけている道路のすぐそばのところでした。残念ながら雲が厚くかかって雄大な夕焼けという感じではないのですが、様々に表情を変える雲が目の前に拡がり瞑想をしていた私は雲のあるあたりまで浮かび上がったような気分でした。
瞑想といえば、普段私は瞑想などあまりしないのですが、夜寝る前の瞑想にも参加しました。しばらくすると板の間の堅さが足に響き痛くてたまらなくなって途中でギブアップ。薄目を開けてみてみると目の前の先生は体は微動だにしなくて、でもぐーぐーと眠っているみたいに見えてとても印象深いものがありました。

翌日朝食前に一番エネルギーの強い所(だったと思う)にむかいました。ここは森の中の小路を散策しながらたどり着くところで、今回訪れた場所の中で一番印象の強かったところです。遠くから見るとあの赤い岩だらけの景色も近くを歩くとこんなに豊かな森に囲まれているんだ・・・あたりには何種類もの鳥の鳴き声や虫の飛び交う音が
して、生き物の気配が濃厚に感じられます。思わず「ありがとうセドナ」といいたい気持ちになりました。リッチな朝食、買い物などを終えてさあ最後のポイント、名残惜しいなー、ここは頂上の岩がまるで人の顔のように見えます。でも何だか切なそうな顔に見えて、訪れたときから気になっていました。そうしたら、やっとポイントに着いた頃から雨がポツポツ。わー退散だ。退路の途中にもどんどん雨は強くなりおまけに雷まですぐ近くに落ちてきます。でも不思議と高揚した気持ちで、体はびしょぬれ足下は赤い土の泥染状態なのに、これも良い経験だなーなどと暢気に思っていました。

今これを書きながらいろいろ思い出しているとセドナの気持ち良い空気が私の周りにあふれてくるようです。きっと他のツアーで行ってもこの深い満足感は得られなかったと思います。
この旅に「おまけ」で参加させて下さった先生をはじめ全日本少林寺気功協会の皆様、本当にありがとうございました。

(発信日:2005.8.9)



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