| アラスカ支部だより 番外編 少林寺気功は、海を越えて…(2003年執筆) 伊藤ひさこ
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父が逝った去る6月25日は、新宿の本部で鶴功三十六式のテストを受ける日でした。「危篤でない限り、行くつもりだから」と、家族には伝えておいたのですが、そんな心配をよそに、まるで父は「俺が逝ってから、ゆっくり(テストを)やれ」とでもいうかのように、明け方、静かに息を引き取りました。 1週間後、アラスカに帰る2日前、今度こそ秦先生の待つ本部を訪ね、鶴功のテストが始まりました。先生と事務の森嶋さんの前で、つい1カ月前に、ようやくひととおり覚えたばかりの鶴功を披露。………汗が滴り落ちる39分間。4分オーバー。でも、「合格です」の先生の言葉に、心地よい疲れと笑顔が蘇ったのを覚えています。 5月に3週間の日本帰国。いったんアラスカに戻ったのですが、スーツケースの荷を解くひまもなく電話が鳴り、10日おいて、再び日本にとんぼ返りのはめに。父の入院、母の施設探しと引越し、そして父との別れと、めまぐるしい2カ月間の日本滞在でした。 「また帰って来ました」と、6月上旬に先生に電話を入れたところ、「大変ですね…今度いつ来られるかわからないから、テストを受けていきなさい。目的があったほうがいいから」そう言ってくださった先生の心遣いと、臨機応変な対応、そして開けた心に、とても励まされました。一人の死をめぐって浮き出てくる周囲の人間模様の渦に巻き込まれそうになった時、自分がどこにいて、何をすべきか冷静に判断できたことは、気功を続けていたおかげと信じています。そして、失ったものの多い中、気功のテストに合格できたということは、貴重な収穫の一つでした。 海を越えて、崇山少林寺気功に出会ったきっかけは、2001年正月に帰国した際、地元の本屋でたまたま手にした秦先生の本『これが気功と武術だ!』でした。アラスカでカラテ(唐手道)を始めて数年。エクササイズのつもりでやりだしたものの、だんだんと武術全体に興味が広がっていきました。太極拳も習いだし、あげくのはてに、なにか武術とつながりのある職業につきたいと、マッサージの学校にも通い出したころでした。本を読み進むうち、著者である先生の武術や気功に関する奥の深さに感銘し、バイブルのように身近に置いて、ことあるごとに開いては読み返していました。次は、これ(気功)だな。わたしは、ひそかに決意をしていたはずです。どうも、いったんこうと決めると、直撃せずにはいられない思い込みの強い性格で、アメリカで気功を教えている人はほかにもいるけれど、わたしは、この人でなければいけない! と直感したのでした。人生の大事な時に人を選んだり物事を決断するときは、いつもこの直感にしたがってきたわけですが、今まで間違ったことがないのが、自慢といえば自慢です。 2002年の春、先生に連絡をとり始めました。その夏、日本に帰国するときに、クラスに参加させてもらえるかどうか。いろいろ情報を送ってもらっているうちに、指導員の資格を取るためには、東京にいても2,3年はかかることを知りました。わたしが毎年帰国したとしても、クラスに参加できるのはたった数日。他の生徒のわずか1ヵ月分しか習えないというこということです。みんなが1年ですむことが、わたしなら12年もかかってしまう。ということは、わたしが資格を取るまでには、24年から30年……うぅん。 4年かかってカラテの黒帯初段を取ったばかりのころでした。零下40度もなんのその、アラスカの人里離れたところから車で走行4万8千キロ通い続けたのです。野を越え山越え、さまざまな障害を乗り越えてようやく獲得したおかげで、やればできる! という自負が芽生えていました。今度は海を越えて通うのだけど、太平洋を泳ぐわけではなし、できないこともないな。少林寺武術には、黒帯初段、二段などのランク付けがないと先生の本にありました。武術家をめざす人たちは、何年、何十年かかるかわからない武道に、日夜励んでいたはずです。気功も武術も、やればやるほど、心身ともに磨かれてくる。特に気功は、20年だろうと30年だろうと、練功すればするほど、体にいいはず。ま、70歳までに資格が取れれば、相当、箔がつくだろう。それよりも、そんな特殊な状況でも、先生がわたしを生徒にしてくれるのかということのほうが気になりました。日本のお決まり「前例がない」と言われれば、それまでです。とにかく、7月後半に日本に行って、無料体験クラスと第11期の説明会に出席してみることにしました。 東京四谷の地域センターで初めてお会いした先生から、いきなり2ヵ月後に控えたラスベガスの審美歯科学会での通訳ができないかと持ち出され、わたしはあいた口がふさがりませんでした。アメリカに住んでいる日本人は、みんな英語がじょうずだと思っていたようです。それはともかく、ラスベガスで、先生がアメリカ人にどうやって気功を教えるのか、見てみたくなりました。また、アラスカからラスベガスまではけっこう離れているのですが、日本に行くよりは近い! 迷惑かもしれないけれど、先生の発表や気功のクラスを見学させていただき、30分でも教えてもらうことができれば、アラスカからはるばるラスベガスに行く甲斐はあるのではないか。結局、通訳は辞退させていただきましたが、ボランティアのアシスタントとして、自費で参加することにしたのです。 真夏の日本に帰ったのは14年ぶりのことでした。アラスカ内陸部の夏は、30度前後になる日もありますが、運動しない限り汗をかかないほどカラリとしています。その気候に慣れていたので、あの!蒸し暑さに帰国する前からおののいていました。学校の体育館で、立っているだけで汗が滝のように出る練習時、飲み水を忘れて、気絶してしまうんではないかと思ったこともありました。 時間が限られているので、鶴功三十六式の動きをまず、できるだけ覚えていきなさいと、先生は集中的に教えてくれました。とりあえず第十五式の「空中観路」まで習い、8月上旬、アラスカに帰りました。 1ヵ月半後、ラスベガスへ飛んで二十三式の青龍チャンシまで習ったあとは、先生の陽の気をたくさんいただいてアラスカの長い冬を迎えました。 そして、今回の帰国までの8ヵ月間。未熟なところ、あいまいな動きがあって質問したいことがたくさんありましたが、電話ではらちがあきません。頼りは先生の本と多少の資料、昨夏発売されたビデオがあるばかり。あとはただひたすら、体で覚えたことを忘れないようにと、小さな仕事場で鶴功の練習と静功を繰り返しました。手本を見せてくれる先生や先輩は、はるか海の向こう。この広いアメリカで、先生の少林寺気功を教えてくれる人は、誰もいないのです。心細くもなりましたが、時々静功中に、やはり静功している先生が現れたりして、あ、見ていてくれてるんだなと励まされました。この8ヵ月間の独習が、まさに気功の基本そのものではないかと思います。その時間を与えられたおかげで、今回鶴功のテストにたどりつくことができたのです。 現在、アラスカの大自然の懐にかえって、自分を癒し、新たな生気を取り戻しているところです。覚えたことを忘れないように、そして次の「虎龍双型養生功」を習うのを待ちわびながら、また来年まで一人で練習を続けます。 秦先生を始め、熱心に指導してくれた先輩の方々、ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いいたします。第11期の動功のテストは、もう済んでしまったでしょうか。まだでしたら、どうぞがんばってください。 将来は、指圧・マッサージの仕事に気功も加えて、アラスカの人たちのお役に立ちたいと思っています。何期の方々といっしょに修了証を受け取ることができるかわかりませんが、中国の少林寺で動功を演舞するのが夢です。ぜひ一緒に連れていってください。 2003年8月14日 伊藤ひさこ 追伸 1)基礎気功をビデオに撮っている方がいらしゃいましたら、ぜひご連絡ください。(E-mail:hisakoAK@hotmail.com)先生の了解済みです!
2)アラスカの暮らしに興味がある方は、拙著『ママは陽気なアラスカン』すずきひさこ著(文芸社)をご覧ください。 (事務局より附記:ひさこさんの著書は当協会でもお取り扱いしております。お申し付け下さい。) |
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