| 「サンフランシスコ奮戦記」 #2
釋 延平
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【サンフランシスコ行きを決断した経緯】 実際のところ、「少林寺気功」はどうでしょう? 今まで10年間の協会の進んできた道・・・日本国内では皆さんにお知らせして、大変良い評判をいただいております。しかし、日本の良いもの、例えば空手・合気道などいろいろありますが、それらに比べたら、実際はまだまだ知られていない。また、全世界ではどういう評判でしょうか。 指導員の皆さんは、長い年月をかけて良く練功してきた。でもその成果というものは、専門家の前で、専門家の集中するところでやってみせなければならない。例えばボクサーだったら試合に出なければならない。 伝統武術であってもいろいろと交流したら、自分の流派の良い面が判ってくる。元々そういうふうに感じられていました。 あるいは理屈じゃなくて、なんとなくそういう“気”というか・・・何年も前から感じていたことは、なんとなく世界の気功の“気”と繋がっていく。あるいは私達のことを呼んでいる・・・アメリカからも、ヨーロッパからも。そんな風に感じられていました。当然使命感もあります。ただ時間的に、余裕がなかった。 では、今回サンフランシスコに初めて呼ばれたという、その話の発端はどういうことだったかというと、非常に偶然のことでした。 私が初めて気功麻酔による抜歯手術に成功してから、すぐ中国へ帰国し、上海の中医学大学の気功研究所に行きました。その中に気功麻酔の達人の 儲(チョウ)維忠 先生がいらっしゃいます。有名な教授で、4期生か5期生の旅行のときにホテルまで治療に来て頂いたこともあります。その儲先生と気功麻酔について交流に行きましたら、よく話があい、深いところまで話に及んで、互いの人格と技術を尊敬しあう友達となりました。 2回目に訪れたときに、儲先生は自分の気功の研究テーマとか、世界や中国において発展していく気功界の現況を私に話してくれました。その時にサンフランシスコの学会のパンフレットを私にくださいました。 「私(儲先生)は講演に呼ばれているのだが、中国から参加するのは難しい。まず国の許可をとるのが難しい、また費用の面でも難しい。だから、是非あなたが行ってください。あなたには十分な気功のレベルがあるから。」 しかしもう時間的に無理だったので、その年にはいきませんでした。 ただ、日本に帰ってから英語のわかる人に頼んでどういう組織かなど調べて貰って、連絡しました。そのときは連絡が通じず、反応がありませんでした。当時は協会事務所も忙しく、まだ海外に向けて活動していく力もなかったので、そのままで置いておきました。 去年から今年にかけて、アラスカの伊藤さんの紹介で全米気功協会への参加があり、 結果大評判となりました。そのときサンフランシスコのパンフレットのことを思い出し デンバー(全米気功協会)と同時にサンフランシスコのことも手続きをしました。 サンフランシスコ在住で協会のアメリカでの活動に多大に協力し支えてくださっているHさん、そのお父さんである I さんは、こっち(日本)で私の治療を受けていてます。 I さんも英語が堪能で、昔は日米教育委員会の事務局長をやっていた方です。この方に手伝って頂き手続きの手紙を書きました。 今回はすぐ返事が来て、大変熱意ある内容でした。 是非こっちにきてください、と。 前にもやりとりはありましたがその時はうまく説明が出来なかった。 今回は I さんがこちらの事情をよく説明してくれたので、向こうはすぐに良い親切な返事を返してきたのでしょう。 その後先方のホームページを見て、会議の予定をみてデンバーを訪問する前に日程をきめました。 直感的に、「全米気功協会もいい結果がでて、その評判を聞けばサンフランシスコの方にも良い影響があるだろう」と思いました。 最後はやはり、実行すると予想通りの良い結果となりました。 この結果は決めたらいろいろ準備して、募集して、デンバーが成功したあとサンフランシスコの方に集中しました。事情を説明して、特にこちらのサンフランシスコのプログラム・会議(学会)に興味のある人を募集しました。ある人はこちらから誘いましたが、半分は自分の意識で参加しました。これは非常に嬉しかったです。 そんなわけで、すべてがはじめてのこと。準備もはじめて。人数が決まったら向こうの日程とあわせて、パンフレットも決めて、申し込みの手続きなどして準備をはじめました。 今日は準備の段階だけ、お話しました。 −END− |
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