「少林寺」という言葉は、日本でもよく耳にしますし、よく皆さん知っています。しかしその本当の意味については、ほとんどの方が知らないと思います。中には関心のある人もいますが、映画の少林寺やカンフーだったり、少林寺拳法などについて知っているとか、覚えているようです。実際に「少林寺」は、中国河南省(嵩山)にあるお寺です。1,500年の歴史のある仏教の修行の場です。

なぜ、これまで少林寺という名前が、日本において広まり、長い間人気もあり、あこがれの地であり続けているのでしょうか?

それは、やはり少林寺の中身に惹かれるためです。この中身というのは

「禅」と「武」であり(昔からの概念)、近代に入り、「医」(中医学)、「気」(気功)のこともあります。

さて、少林寺に関わるということ、または少林寺秘伝を習うということは、本当の人間になる、完全な理想の状態になるということであります。肉体的にも元気で健康になり、病気になりにくくし、身体能力を高め、潜在能力も引き出します。(身体面の変化)少林寺の修行を実践すれば、精神力のレベルを上げ、人間性を高めることができます。(精神面の変化)

人を思いやり、助け、自分のことは二の次にする。あるいは自分のことは忘れて、人のために第一に行動するようになります。

(日本における精神世界では)人間の心には、誰にでも「欲」がありますが、この不浄な心を浄化させるために自己批判して正すやり方があります。しかし少林寺の場合は禅の修行のこともあります。決して山奥にこもって苦行をするようなものではなく、自分の心と人間性の修行して、心を切り替え、理想の状態、もしくは社会的にも周りの人にも、さらに自分自身にもナチュラルな状態になれることであり、その方法は誰にでも実践できるようなものであることが重要です。

そういう人が社会にとって役立つ人間となります。周りの人は助けられ、救われるので、大いに歓迎します。なお、(そういう人は)迷惑もかけません。何か問題があれば、まず自分に目を向けて問題を探します。そして自分で解決させます。他の人に文句を言ったり、何か要求することはありません。これはとても重要なことです。言葉で言ったり、聞いたりするのは簡単なことですが、これを実行するとなれば、なかなか難しいことであります。何かあっても自分の責任ではないと勝手に判断したり、他人のせいにしてしまうのです。

これでは、とても少林寺らしいとは言えません。少林寺では、体は強く丈夫で、他の人より力強い。とても怖い…という人物は少林寺の人間としてふさわしくないのです。

他人に優しく、助ける、それが本当の少林寺で学ぶ者のあるべき姿です。

もちろん「武」の修行で肉体を鍛える、「禅」の修行で心を鍛える、「気」の修行で気功を習得する、「医」の修行によって治療のことを理解するのです。これらのことにより、人々の病気の痛みや苦しみを解決させることができるのです。

一見、バラバラのような分野の面を持つようにも思えますが、人生においてどれも必要な能力であり、問題解決のためには切り離せない能力なのです。

少林寺の修行をしたら、自分の人生は理想的なものとなり、それは社会的にみても、全世界の人類からの視点でみても、高い「人間素質」となると言えるでしょう。

誰でも他人から嫌われるようなことはしたくないでしょう。逆に人に喜ばれ、環境にも役立てられるような人間になりたいでしょう。

自然とそうなっていけば、自分自身も幸せになり、肉体的にも精神的にも成熟させることでしょう。

誰でも少林寺に入門して、しっかり教えを学び、本当の自身になるということが重要なことなのであります。