先日、指導員養成コース第19期生の会員の方が亡くなられました。私と事務局齊藤さん(その方と同期です)とで、告別式に行って参りました。同期生も参列いたしました。中には遠方(岐阜県)から来られた人もいました。
 「縁」により、少林寺気功を学んだ仲間がこうして集まり、最後を一緒にともにするということに「深い」ものを感じました。当時、数年間一緒に練習に励み、修業を乗り越えてきた同士には、他に見えない絆があるのだと思います。

 亡くなられた人は入門した時に、すでにご年配の方でしたから、より多く生き、智慧も学び、たくさんの体験をしていたと思います。人一倍、練習にも励んでおりましたが、(入門以前より、)重い病気を患っていました。入門当時から約10年の月日が経ちますが、その病気がどれくらい前からだったかということまでは分かりません。ご本人も辛い思いをした時期が長かったと思いますが、元気な姿で練習していたことを思い出します。本当に真剣に少林寺気功の練習を続けていました。実は周りの方にも、ご自分の病気のことは伝えず、また悟られるようなこともなく、「平常心」でいらっしゃったのでした。
 私は、長くボランティア活動として老人ホームでの少林寺気功教室を開催しておりますが、その方も2~3年間、私の付き添いで通った時期がありました。
指導員の会員の方とは、通常、授業だけではあまり個人的に話までできませんが、一緒に老人ホームに行っていましたから、より深い話がその方とはできました。思い出しても、当時、重い病気を患っていた中にも係わらず、とても人生を幸せに送っているようでした。表情からも幸福を感じさせるものがありました。私にも、(病気によって)苦しんでいるというようなことは、決して言いませんでした。

 私は日本に来て、何のために「少林寺気功」を広めているのか?なぜ多くの人が集まり、学びたいと思うのか?と常に自問自答して、ここまでやってきました。誰でも人生があり、その中で幸せに生きることを望みます。また肉体や精神の面でも辛いことを乗り越えていかなければならないことが出てくるでしょう。そんな時、この「少林寺気功」が自分の味方になってくれるのです。さらに能力開発の面に発揮しますから、人生を自分のしたいように変えることもできるのですから、とても素晴らしいものなのです。

 人生は、あっという間です。10年前のことも昨日のことに感じられるほどです。
私たちが実践している「少林寺気功」の“修業”というのは、「生と死」を学ぶということであります。その生と死というものを自分の心と向き合い、理解し、認めていくことが大事です。この世に生まれれば、必ず老い、そして最後は死を迎えます。ですから、自分の人生、もっと意味のあるものにしてほしいと思います。また他人のためにも尽くすことができるようになってほしいと願います。
 人生の最後で、後悔したり、残念に思うようなことがなく、自分自身は精一杯生きたと実感できるようになりたいものです。
どうぞ人生の最後まで、幸せな心と平常心を持ち続けるようにいたしましょう。