大変関心が高く、皆さんは真面目に聞き入っていました。

美味しい料理をたくさん食べ、終盤にはお互いにお土産を交換しあい、さらに交流を深めることが出来ました。
最後には音楽もかかり、カラオケタイムとなりました。台湾の方2名が歌い、こちらも指導員の宇田川さんが上手に歌いました。とても大きな拍手を頂き、大いに盛り上がり、楽しいお食事会は幕が降りました。

楽しい会が終わり、外に出て、高雄の港の周辺の観光をしました。港そばの倉庫を改造した若者向けのデザイン系やファッション系のお店がありました。少し散策をしたりしました。

夕方になり、夕食の時間となりましたが、なんと日本料理の店を用意したくださいました。

日本の鍋料理を振る舞ってくれました。とても美味しかったです。夕食後、各教室の皆さんへのお土産、また実行委員会のメンバーにはお茶を買いました。買い物を済ませ、私たちはホテルに戻りました。明日は大会のため、早く出発ですから、すぐに休みました。

 

3月18日(第3日目)

朝9時には出発ですので、早く起きてすぐ準備しました。9時30分には迎えが来て、高雄のメンバーと合流して、一緒に観光バスで会場に、1時間30分位かけて移動しました。

私たち3人は、ホテルから朝食(サンドイッチなど)のお弁当を用意してもらっていました。他のメンバーの皆さんも用意していましたが、そちらの方が小籠包などが入っていて豪華に見えました。バスの中は、皆さん、大変賑やかでした。まるで一つの大家族のように、すごく友好的です。バスの中はとても良い気が漂っていました。

会場に着いて、李会長とお会いしました。いよいよ大会の入場式が始まります。開会の合図をライフルを撃ち鳴らすという儀式から始まります。本部の3名と各支部の方々と私も全日本少林寺気功協会の代表として、ライフルを構えて撃ちました。会場には、「ボン、ボン、ボン…」と音が16回位鳴り響きました。これは始めての試みだそうですが、面白かったです。

今回の会場はとても大きな建物で中も広いスタジアムのようでした。形は日本の武道館のようです。音響と照明設備は充実していて、演出は最高でした。客席も1,000人は収容できるほどでした。

私は大会挨拶の中で、盛大な開催の喜びを込めて挨拶を述べました。プログラムは気功の演武に入りました。やはり目玉は、当協会の少林寺気功、そして宇田川さんのベリーダンスショーです。とても人気で、毎回、皆さんは楽しみにしています。

当協会の指導員2人が行った演武は、とても質の高いものです。2人とも、よく練習していましたので、堂々と披露いたしました。またベリーダンスは、台湾では珍しいため、会場の皆さんは興味津々で終わった後も、拍手とともに握手を求めて集まり、一緒に写真を撮ったりと大人気でした。

無事に大会も終わりました。お昼にお弁当を食べた後、街に観光に出かけました。

夜になり、宴会の会場に行きました。今晩は地元の主催者と総会の幹部の方々から招待を受けていました。美味しい料理もたくさん出ましたので、参加者全員が満足しました。後半には、お土産交換会を行いました。こちらも今回はたくさんのお土産を用意して行きましたので、大変驚かれました。当協会で賞状も50名分ほど用意しておりました。大会においての努力を称え、一人ひとりにお渡ししました。大変喜んで頂きました。総会のメンバーは、全力でたくさんの人を同行させて参加すると約束してくださいました。とても良かったと思います。

宿泊は、高雄の副会長の別荘になりました。

 

3月19日(第4日目)

次の日の朝、観光の予定ですが、また迎えが来てくれました。有名な観光名所(海洋開発の湾岸など)に連れて行ってくれました。午後には、高雄に戻りまして、国技場やコンサート会場など大きなホールの建築物を数ヶ所案内してくださいました。

ホテルに戻り、私たちはようやく自分たちの時間が出来ました。外出して、屋台に行きました。台湾名物を堪能して、お土産など見て買い物を楽しみました。そこで元会長から電話があり、ホテルで待っているとのことでした。私たちは戻ると、元会長はお土産を持っていて、結構待っていたようです。やはり高雄の皆さんはとても親切だと改めて感じました。台湾の南の地域は暑いですが、心も熱いのでした。

あっという間に最後の夜になりましたが、帰る準備をしてゆっくり休みました。

 

3月20日(第5日目)

朝、8時15分フライトに間に合うように、5時30分にはホテルを出まして、空港に向かいました。

無事手続きを済ませ、搭乗し、成田に着きました。

今回の会議(大会)の交流を大変意義があり、とても良かったです。また観光も様々な場所に案内してくださいましたので、とても良かったです。さらに一段と台湾の団体の皆さんとふれあいを通じて、良い人間関係を築けました。

同行した荒井さんは、来るたびに感動して、「帰りたくない!」、「台湾に残り、生活をするには…」と、真剣に聞いていたほどでした。