先日、NHKで「茶道」に関する番組(内容は名前の由来の話)がありました。ご存知の通り「茶道」の創始者は千利休です。番組の取材で本当の名前は田中与四郎だと、第15代にあたるご子孫から分かったそうです。
「千」とは永遠の意味で、「利」は利益や名誉など、「休」はこの利益や名誉などを超えてそれを考えない(やめる)ということだそうです。これは茶道の本質であり、心得、または茶道の精神であります。
また従来までの茶道の道具にも、大きな変化をもたらせました。元々、茶道で使う茶碗は、貴族たちが自分の身分を表すために、豪華なものや高価なものを使用していました。しかし千利休が茶道を始めてからは、茶碗は陶器に変わり、またその他の道具も竹とか、草などの材料で作られるようになりました。そのため誰でも趣味として、茶道というものを親しめるようになったのです。
さらに茶室の入口の高さが約80㎝になっており、入るときは必ず頭を下げ、腰を曲げないと入れないのです。これは誰も身分などない、平等であるという意味があります。一旦、茶室に入ったら、身分が高いとか、低いなど関係ないということなのです。またその広さはたった2畳ほどです。狭い空間の中での心遣い(精神)には、とても奥深さを感じました。そして茶は、5人で一つのお椀のお茶を飲みます。こういう精神も、一切の贅沢をせず、また欲張らず、相手のことを考える行動をとることになります。こうした「茶道」のあり方は、一般大衆に大変受け、広まりました。今では表千家や武者小路千家をはじめ、裏千家など大きな組織になっています。
単にお茶の風習が広まったというより、その中身が広まりの要因でしょう。これは私たちの少林寺気功の「座禅」と非常に似ています。少林寺気功や武術だけでなく、座禅にも形があります。またその名前もあり、深いところには必ず意味があります。先に述べた茶道も同様です。それは人間の心の修行であり、人間性や道徳のことでもあります。さらに人間の精神の面でも、すべてを忘れて「無(空)」になります。そして大勢の人々のために自分を変えるということなのです。
本当の少林寺気功や武術は、こうした中身のものであります。そのためは繰り返し練習することしかなく、重要なのです。その中に身分や差別などは一切ありません。皆さんも一旦、教室に入ったら、そういうことは忘れて行っています。職業、学歴、財産などすべて忘れて練習します。そうしますと、自然に上達します。
もし、そのようにすることができましたら、まるでコップの中の水が無くなり、新しく入れることができるようなものです。すでにいっぱいに水が入っていたら、もう入れることはできないでしょう。まずは元の水を捨てて、「空」にしていれば、たくさん入れることができるのです。
私たちの教室では、健康、能力開発、人生、そして心の教室なのです。