もし昔の聖賢の本を読んで、硬い文章と言葉を覚えても、それが役に立つとも言えません。その精神と道理を理解して、実行する事が本質ではないでしょうか。
それは官職についている人が、口だけで民衆に良い事をしなければ何も意味はないということと同じです。
 研究も同じで、気功や精神世界などもに同様に言えると思いますが、学問だけでそれを実行をしないと、それはお坊さんが経文も読むだけのようなことで、経文を読むだけで、最終的な目的でもある禅を悟らないと成果が出る事はありません。だから何か勉強する時には、表面だけではなく中身・本質を理解すると同時に行動することが大事だと思います。
 ある意味この事は禅であると言えます。これは専門的なものなど何も関係せずに、何をやってもこの特徴を理解して実行できたのであれば、良い結果がでて宇宙と通じるかもしれません。
これが通神ということでもあります。