2006.07.13

 全世界、特にアジアでは親子の間の「慈と孝」や兄弟の間の「友情と尊敬」は親情を表します。家族内で、この情がすごく深いのは当然のことで感謝する事などはありません。
 例えば、愛し合った相手に何かをしたときに、自分は相手に対して恩を売ったとか見返りを求める事やこの親情が珍しい事、素晴らしい事で常に協調して表したりすれば、それは互いの関係をまったく知らない人間の関係となります。
 物を買う代わりに代金を払うなど、何かをしてその見返りを求める行為は商売になってしまいます。慈は一つの愛です。 東洋の方では年配から後輩への愛は「慈」からくるものです。
 先輩と後輩、上と下に対しては儒教の中の「孝」。でも実際は同じ「慈」はあります。孫が祖父祖母に対して色々な心配や世話をする子孫は「孝」以外にも慈はあります。子としては同じ「慈」はあります。
 中国の「孝」は「徳」の元である。という言葉もあります。だから「孝」は徳の中でも最高の徳といわれます。なぜならば「孝」があったら兄弟が仲が良い、あるいは子孫、後輩、年配のほうに尊敬の態度で、良い家庭、国になります。
 兄弟の間の「友」は手と繋ぎ一緒にやるという事です。弟は兄を尊敬し、何でもする。父母に「孝」ということは、兄弟の友情は第一歩です。昔の家庭における道徳の根本でもありました。
 現代の人は特に欧米の方ではこのような関係は薄いです。もちろん人間平等ですが、これは一つの倫理道徳ですので、やはり家庭の親情を持たないと本当の禅の状態になるのは難しいと思います。
 なぜならば倫理道徳の中に進まないと修業の環境は出来ない。師と弟子の間には「孝」父母に対しての尊敬、先輩と後輩の間で友情を護らなければ正しい事を学ぶ事も伝える事も出来ません。
 まだ習ったばかりなのに、自分は何でもわかるという態度だと本当の修業は出来ません。
 現代社会の若い人は、あまり学校へ行かないという事がありますが、勉強や心を落ち着けて良いものを身につける事は難しいと思います。なぜなら水は全て高いところ低いへいくように自らが高い位置にいては何も得るものはありません。もし水を受けるという事は低い姿勢にならないと受けられません。単純で簡単な道理ですが、実践する事は簡単ではなく難しい事です。
 一つは自分の受ける能力のこと、受ける態度と気持ちは自分の最後の結果には修業のレベルに影響があります。