人々が少林寺へ来ると、少林寺についてちょっと詳しい人は「常住院」いうことを耳にします。この「常住院」と言われているのは,少林寺の組織の1つです。少林寺は代々僧達によって伝えられてきましたが、人々は皆大家族という雰囲気があります。だから一般の親戚関係のように、いとことか同じ世代といった分け方が存在するのです。
清朝以来、少林寺の僧は十八の門派に分かれ、それぞれのグループを形成しました。そのグループはおのおの別に住み、それぞれが「荘院、土地と財産、農耕用の牛や道具、農耕地、」などを持っていました。これがすなわち、世間でよく言われているところの「少林寺の十八門僧」ということなのです。この十八の「家庭」の間には貧富があり、常に相互の貸し借りがあり、土地や家具の売買といったこともよく発生しました。この十八の家族の間と、寺や世間との間を処理する政務機構を作る必要がでてきたのです。こうした大きな事務のために常設された機構と人員が常設されて、「常住院」に住んでいました。「常住院」の名称もここから生まれたのです。
この常設機構と人員は、寺の管長とその首座(しゅざ)など四人の班主(はんしゅ)と八人の執事で構成されています。では少林寺はいったいどういう部分から構成されているのでしょうか?一つは南北少林寺です。距離は遠くても少林寺の部門です。少林寺の西側に、少林寺開山の祖師であるバッダ和尚当年の「甘露台」があります。五乳峰の上に達磨大師が九年間壁に向かって座禅を組んだ場所である達磨洞と達磨大師の住居である「初祖庵」があります。南面には、さらに二祖「慧可(えか)」が自らの腕を切って達磨大師に法を求めた後、怪我の静養した場所「二祖庵」があります。寺の東にはさらに三祖「僧 ソン」を記念した場所「三祖庵」があり、さらに魏の孝明帝の妹「永泰公主」が修行をし、また歴代の尼僧が修行した「永泰庵」があります。このほかに、さらに代々の少林寺の僧侶の墓である「塔林(とうりん)」などがありますが,これらで少林寺は構成されています。このように「常住院」を除いて、その付近には七つの構成部分があります。