先日(1/21)、第35期の授業では、仏教気功の能力開発が可能な「六神通(あるいは6つの超能力開発の座禅法)」の中の第5番目「宿命通」を実践いたしました。この「宿命通」とは、自分と他人の宿命が分かる、また自分や他人の運勢が分かるというものです。さらに前世や来世(信じる人もいれば、信じない人もいますが…、また“ある”とか“ない”などは別として)について、自分はどこから来て、どこに行くのか?が分かるというものです。

「宿命通」を実践すれば、(すべての人々のために)今をどう生き、また自分の過去はどのように生きてきて、将来はどこにいくのか?が見えるのです。もちろん、こういう話になると「信じる人」と「信じない人」と分かれます。しかし、仏教の歴史は約2500年もあり、今日まで存在してきた理由があります。 私は日本に来て、20数年経っていますが、日本のご友人や仕事でお世話になっている(応援して頂いている)方など、たくさんの人々とお付き合いしています。

その中には有名な方もいらっしゃいます。たとえば、とても尽くして頂いている世界の医学界において権威がある寺川先生、その他芸能人や映画監督、またスポーツ選手、武術の世界チャンピオン、さらに企業家の方もいらっしゃいました。人間である共通点として、(どんな人でも)皆人生最後には、悟りの状態になっていきます。特に死ぬ直前(数時間~数十時間)、または死ぬ前の何年間かの間、自分の人生の目的が顕現化されます。しかし、その時になって分かっても、人生(80数年間)は映画のように、止まらず進み、終わってしまいます。中には悟りに入れずの人、また入ったところでもう後がないというのでは、残念なことです。残りの時間が少なくなってからハッキリ分かっても、もう遅いのです。大抵の場合、こういう人生を歩みます。

やはり、私たちの人生は生きている上で、早い段階において本当の自分の行き方を悟るべきです。(私の話になりますが、)今生の人生の中、上手・下手なこと、または達成・失敗したこと、子供ができる・できないなどが繰り返しありました。ただ自分の人生は、使命感を持って世の中に生きています。それは自分にもハッキリと分かります。ですから、何があっても、環境が変化しても、皆さんも、もしお寺のお坊さんでも、普通の人のように生活していても、家庭を持っている・持っていないとか関係なく、自分の人生の歩みを止めずに、行動すべきなのです。自分を信じて、いま習っている「少林寺気功」を続けていけば、心身は健康になります。まず、これが「幸せ」の近道であります。

そして根本から自分を変えていくことができるのは、自分一人で修業していくことにより、己れを高め、能力アップしていけますが、(自分だけが)あれこれできるようになるよりも、もっと多くの人々に道案内をするかのように導いていくことが重要なのです。

そうすることによって、自分自身の修業時間がたとえ減ってしまっても、それ以上の価値があります。こういう精神を「大乗仏教」とも言えるでしょう。(※逆に「小乗仏教」は、同じ能力開発や悟りの方向へ、自分一人で実践していくものです。)昔のインドでは、修業者は洞窟の中で、一人で閉じこもって修業していくものが主流でした。しかし本人だけが、修業した結果、悟りの状態に入ったり、変化していっても、どういう効果があるでしょうか。それだけでは誰にも影響を与えられずに世の中は変化せず、終わりでしょう。  もし「聖者」と呼ばれるような人でも“自分だけ”という「悟り」であれば、普通の人を比べても、社会に対しての影響は、どちらも変わりがないものでしょう。

しかし、「大乗仏教」の精神は違います。大勢の人に幸せを与え、さらにもっと幸せになれるように努力(まるで対岸へ舟で運んであげるように・・・、また心身の解放をしてあげるように・・・)していくことには、大変意味があり、それが「人生の道」なのであります。

 

私たちはコツコツと「少林寺気功(動功・静功)」を修業して、練習を怠らないようにしていきます。しかし、それはあくまでも手段であり、単に練習方法に過ぎません。もちろん、少林寺武術の技術や様々な能力開発など、どれくらいまで向上させられるかと願っている方たちに、それらを伸ばして上げられるように導く努力は必要です。

もっと大事なのは、これらの方法を身に付け、自分のものにし、そして大勢の人々に幸せや心身健康、あるいは心から根本的な悩みの解決させる、また解放させて上げられるようにすることが、最大の「意義のある人生」です。

一人ひとりにとって、生きている“勇気”、“楽しみ”、そして“光”を与えてあげられることが重要ではないでしょうか。

あまり日本人の方は、自分の夢や希望を公言するようなことは致しませんが、私たちが習っている「少林寺気功」には、それらに答えられる大きな意義が秘められているのです。