少林寺は、「大乗勝地」のほかに「禅宗祖庭」と言われています。これは、達磨大師が初めて大乗仏教を少林寺に伝えそこから大乗仏教が中国に広まったので、少林寺は禅宗祖庭つまり発祥の地となるのです。また、とはどういう意味でしょう。仏教のもともとの説明では、は禅那の省略の名前で、意味は静かに考えるということ、または静かに集中して考えるということです。
次に、「禅定>」とは何でしょう。それは、自分の思いをひとつに集中させるということで、そうすると悟りを得られます。禅宗では、本当の禅はいつでも人の周りにあると考えられています。つまり、どんな所にも四方八方あって、自分が歩いていても座っていても寝ていても禅はあるのです。例えば、魚は海の中にただ住んでいるのではなくて、全生命は全て海の中にあります。海は自分の中にもあり、自分の外にもあります。海に住んでいますが、海から生まれて最後は海に戻ります。海はあなたを包んで、自分の身体と同化します。だから禅では、海は禅と同じだと考えています。
中国の仏教あるいは中国文学の特質は禅であり、あるいは禅の文化であるという言い方もあります。禅にはかなり広い意味があります。禅の言葉は、非常に表現しにくい深い内容であり哲学の道理も入ります。曖昧な中に深い内容が入っています。歴史上有名な在家弟子の詩人「白楽天(白居易)」という人は、嵩山に来た時に、よく禅行をし年配のお坊さんと禅問答をしました。中国の仏教の歴史には、そういう特別の素質があります。それは時代や時間によって変化し、進化しています。その途中の異なる段階、現実、形、内容によって、その禅の段階と内容や形は違います。中でも有名なのは、修心禅、安般禅、声聞禅、菩薩禅、次第禅、頓超禅、五門禅、念仏禅、実相禅、観話禅、黙照禅、悟心禅、成仏禅、密宗禅、賢首禅などです。
それでは禅宗とはどういうものでしょう。これは、中国仏教の第一の宗派であり禅定の考えを持ち仏教の修行全ての内容をまとめたものです。修行者は常に自分の心をひとつにして仏教を修行研究し、最後は「自心」を悟らなければならないということです。直接、心をさして、「見生成仏」すなわち自分の生を見て仏になります。「参禅打座」は座禅をすることです。この宗派は、特に座禅をすることを強調しています。だから禅宗といいます。禅宗のお坊さんが座禅をする目的は何でしょう。自分自身の悟りから、自身の持つ「仏性」を表現します。だからこの宗派は「仏心宗」あるいは「心宗」とも呼ばれます。心宗とはそういう意味なのです。特に禅宗の第6祖慧能は、禅定は主に修心と見性に重点を置くという事を強調しています。これは、ただ座っていることか心を静かに保つとか、景色が浮かんでくるという状態ではなく、自分の本性を知るということです。
仏教には色々な宗派があり、修行にもそれぞれの特徴があります。仏陀が仏教を創立してから後、インドの僧先后は十大宗派を中国に伝えました。各流派の思想は、中国の民族文化と混ざり、長い期間の中で相互に吸収、消化して創造的発展をしました。特に6世紀末から9世紀の隋と唐の間の時代は、中国で仏教の最も盛んな時期でした。それぞれの思想理論の発展により各宗派はだんだん大きくなっていきました。禅宗以外では相、台、賢、浄、律、密の7大宗派があり、この宗派は<<中観論>>や<<百論>>、<<十二門論>>の研究、修行により三論宗が形成されこれは法性宗とも呼ばれます。別の宗派では、瑜伽宗、あるいは法相唯実宗、浙江省天台山の智イン和尚による五時八教の総鋼である一心三観や三諦圓融を中心とした天台宗があります。また、賢首宗あるいは華厳宗とも呼ばれる宗派があります。そして<<無量宗経>>による西方阿弥陀の極楽浄土を中心とした浄土宗があります。そして、声聞律により<<四文律>>があり、律宗があります。8世紀には、インドの善無畏の金剛智、不空らから密教が中国に入り密教が密集しました。このように色々な宗派があります。