ここ最近の「今日の言葉」は、「気」や「心」についてお話をして参りましたが、今回は最近の出来事から、現実的なことについて述べたいと思います。
 先月、痛ましい出来事として、「相模原の障がい施設殺傷事件」がありました。
日本中に恐怖と震撼をさせ、さらに世界中にも衝撃を与えたものでした。私はこの事件を知った時、とても言葉に表せないほどの複雑な心境になりました。大量の残虐な殺人行為により、たくさんの命が奪われてしまい、とても悲しい話でありました。加害者が起こした今回の行動については、どんな事情、そして原因があったとしても、あそこまで残虐なことをする行為が許されるはずはありません。今後、このような同じ事(事件)が起こることなく、無くなっていくようにするために、私たちはどういう行動をとっていかなければならないか、改めて考えていかなくてはなりません。
現代社会において、今回のような殺人事件を引き起こしてしまうような行動を、実は私たちも秘めているということも理解しなければならないでしょう。私たちの「脳」の根本的な部分を掘り下げ、分析し、こういうことが精神の異常からであると認識して、根本から変えていかなければならないでしょう。
 基本的に精神(心)について考察していけば、(今回の加害者の)精神の問題はどれくらいのもので、本当はどのようにコントロールしていくべきだったのでしょうか?
 特に相手は障がい者ということでしたが、残虐な方法で命を奪うということした加害者は、人の命の尊厳さや大切さを重んじる心がないということ、さらに凶悪な犯罪を起こすということをなんのためらいもなくしてしまいました。こんな人物(加害者)を分析し、生きている目的を何か、また行動の基準について考察してみたら、なんとも自己中心的な気質であり、全く周りの環境と合わせようとしない心の持ち主と言えるでしょう。「調和」や「共存」といったことを完全に無視し、世の中は自分のことだけが大事であり、極端な自己主義であったのだと思います。その人の根本的な人間性と精神(心)の歪みから、今回のような問題が引き起こされたのだと判断されます。
 それにしても、なぜ、ここまでの行為をするに至ってしまったのか、本人の詳細な履歴までは分かりませんが、一般的には幼少期からの家庭環境や子供の教育のあり方が、とても重要になってきます。もちろん学校に入り、そこでの教育や周りの環境からの影響もあります。
私自身、もう50年以上も前から、厳しい環境の中や修業の場を通じて、様々な人を見てきています。ですから、人間的に良い人や悪い人など、たくさん接してきました。中には悩みなど、カウンセリングに来た方もいました。やはり多くの体験から、人間性の問題の多くは、家庭環境に問題を抱えているケースによるものなのです。
 しかし、一人ひとりの抱えている問題が分かれば、この現代社会から奥に潜んだ悩みや問題などを解決していくことが出来ると思います。身の回りの人たちなど社会が協力しあって、無くしていけるようにすべきなのです。様々な問題が心身に表れていくというのは、大抵は小さい頃(特に赤ちゃんの時から)における家庭の中で、人間教育が足りないからなのではないのでしょうか?あるいは社会的ルールなどを教えてこなかったからではないでしょうか?
 また、そういう子供が大人になっていく過程で、学校教育の場で相談を受けてくれる人も変化を気づいてくれる人もいなかったのではないでしょうか?
こうなっていきますと、本人は成長する段階で家庭や学校などの中で、受け入れがたい反社会的な精神(または思想感)が根付いてしまうのです。
 (今回の事件の場合)加害者は、元々その障がい施設で勤務をしていたということですが、普通であれば、障がい者を介助するということが生きがいとして、また好きな仕事であるからこそ続けられるものだと思います。この人物も介助の仕事を選び、最初は真摯に従事していたはずです。しかし、実際に障がい者と接しながら、障がい者のためにしていたのに、どんどん心が歪み始めて気持ちが離れていってしまったのでしょう。
 実は“障がい者”というフレーズだけで仕事をしたり、またボランティア精神で従事しても、表面的な気持ちで身が入っていなかったり、何か個人的に満足を得ようとしただけで選択していたのかもしれません。もしそうだとしたら、いくら仕事として行っても、本心では障がい者に対して尽くしていないのです。人間性がなく、いつのまにか、障がい者は普通の人と違うのだと思い始め、しまいにはマイナスに解釈し、消極的に思うようになり、最後は社会環境のルールから離れて、反対の道に進んでしまい、とうとう殺人を犯すということになってしまいました。

 子供の教育は、多方面(たとえば能力養成などによって)から、人間性と精神(心)を育てることなどが一番大切であると思います。
 当協会の各教室では、常に「気」について意識していきますが、「気」には“良い気”と“悪い気”がある中で、良い気を育てることを重視していくよう指導していき、皆さんには気を高めていけるよう練習して頂いています。特に「人間性」と「心」を育てるために、そして日常生活に結びつけられるように意識しながら、行っていけるように組み立てております。
 さらに各指導コースで教えていきます「気功理論」、あるいは少林寺気功の「技術」だけの養成訓練ではなく、実践の場でも活用(たとえば老人ホームなどで健康を目的とした教室を開催する、また様々な社会活動に参加することや当協会が主催する世界大会に参加運営の協力をするなど)していくようにいたします。いつも他人にしてもらうというだけではなく、自分から他人にしていこうとする気持ちを養い、実践の場では積極的に活動していくが大切なのです。
 こういう実践の機会が大事であります。他人の心配事や悩みを聞いてあげるということもあり、他人のために自分ができることをしていけるのです。
このようなシステムを、当協会は実に20年も前から行っているのです。これまで経験上、いろいろなことがありました。各教室の中で「気功理論」、また「少林寺気功(動功・静功)」により、技術の特徴を身につけていきますが、実際には実践を通じて(たとえば世界気功大会でスタッフとして活動していく中、日常生活において、その人の足りない部分が見えてきますが)、足りない部分をどのようにしていけば良いか、時間を掛けて、丁寧に良くない部分や癖を直していくというようなことをしてきました。もちろん、中にはしっかりしている人もいましたから、皆さんの良い手本となり、周りにも良い影響を与えていきましたので、それぞれが人格を高めていくことができました。
常にこういう意識をして人間性を向上させているため、私たちが気功大会や認定旅行等で海外に行っても、外国の方からとても喜ばれるのでありました。
以上のように、私たちの少林寺気功の修業、または人間の修業は、気功理論と技術面の修業になりますが、実際には実践(日常生活の場において)で、活かされていける、自分を向上させる修業なのです。

「気功」を学ぶという時、重要な一つとして口頭説明だけで理解をさせようとする姿勢の気功指導ではいけません。当協会では、この「気」という目には見えないもの、そして専門性の高いものを扱っていますから、しっかり一人ひとりに気を感じ取って学んでいけるよう、高いレベルの指導をしております。ですから、とても高レベルの指導者になる方もいます。よく「気功」というものを理解していくことが大事なことです。しかし、中には気に対して、印象が悪くなる人も出てきます。ですから、その人がしっかり学び、本当の気功を身につけ、自分や外気治療を受ける患者に対して、真摯に向きあって行っていくことが必要なのであります。特に気功というのは、実践性が強いものです。決して、口頭だけで伝わるものではなく、説明だけでは何も理解はできません。そのため、当協会では動功などを行って、自分自身にもすぐ役に立つこと(たとえば潜在能力を高めるとか、治癒力を高める、またダイエット効果を上げる、精神力や集中力を高める・・・など)を、実践的な練習をしていくことにより、一人ひとりが自分のなりたいという願望を叶えることができたり、また外気治療の患者のために活かしたりできるのです。このように気功指導をしていくことは、非常に重要なことなのです。
もし自分の仕事が、とりあえず相手に何かをしてお金をもらうというのであれば、それは良い方法ではありません。最近の気功関連の事情の話をいたしますと、ある気功セミナーにおいて、「気功はこのように凄い!」、「このようにできる!」などといったことで気功を理解してもらおうとするやり方をしているところがありました。しかし、こういうことは最初の説明会などの内容であれば理解できますが、たった一回のセミナーだけで資料や動画の特典を付けて配布して終わり、さらに高額な金額を取られてしまう・・・。気功の専門家がこういった無責任なことをしているというのですから、これはとても残念なことです。こうしたセミナーの内容は、入門の部分としてあるべきであり、何回かコースにしなければ、気功を伝えられるものはありません。時間をかけてきちんと指導をしていかなければならないと思います。聞いている時は頭に入ったとしても、また説明を理解が出来たとしても身体では何も得ていない、感じていないということではいけません。あくまでも頭と口だけの理解だけであって、それは気功ではなく、決して上達はできません。理論的なことだけでなく、実技(動功や静功など)、または他の修業方法であっても、「こういうものであります」とか、「こういうやり方です」と言っているだけでは、全然足りないのです。これでは気功のすべてのほんのちょっとしか、かじっていないのと同じです。単に理解しているだけでは、100分の1程度に過ぎないのです。残り99%は、しっかり練習することであり、先生は示範しなければなりません。それは1回2回ではなく、10回、50回、100回・・・となるかもしれません。そこまで教えていくことが必要なのです。このようにたくさんの訓練とトレーニングを行っていかなければ、「気」というものが身につかないものなのです。
ただ一回だけ方法を伝えて教えたとしても、それを身に付けるというのは大変甘い考えです。そういうやり方は、気功の素人であります。
(また以前にブログでも書きましたが、)気功というのは、ボクシングや総合格闘技の技術と同じようなものです。これらの技術を指導する場合、「右のパンチはこのようにするのです」、「左のパンチは・・・」と話して、これで終わり(卒業)となったら、どうでしょう?とてもありえないことだと思うことでしょう。攻撃や防御とたくさんある中で、格闘技などの技術習得は、通常、何十回、何百回、何千回と練習をしなければ、自分のものにならないことです。これは気功も同じなのです。指導者は気功を教える場合、教室を開かないと基本的に何も教えられず、無責任なことであります。
もし、インターネットなどの動画やTVテレビなどによる教育を実施するというのはいいですが、やはり最低一回は、集めて直接指導するということがなければなりません。なぜなら、一つの方法を教えても10人いたら、10人とも違う結果となりうるからです。瞑想(静功)にしても、「下丹田に赤いボールをイメージして、集中して下さい。」と言って、実践してもらっても、ある人は赤色ではなく緑色になっちゃったとか、黄色になっちゃったとか。また丸くではなく三角になっちゃった・・・など、変化してしまったらどうでしょう?これでは正しくできなくなってしまいます。さらに皆さんからの質問も出てくるでしょう。正しい指導がなされなければ疑問も解決されず、一方的であり、相手は前に進まないことになります。もう一つは、動画による気功(動功)を見たとしても、覚えるのが速い人でもやはり一回は指導し、相手は真似てやってみることが大事です。その人の個性や癖などがありますから、相手がきちんと覚えるまでしっかり見届けなければ、簡単には習得はできないのです。
たとえビデオなどで見て、すぐ覚えられるものではないのです。そういう気功の特徴を知って、練習していかなければなりません。
ある気功師のゼミを紹介するHPを観ましたが、教える内容がめちゃくちゃであり、話は幅広く、たとえば密教ではこうである、あるいは道教では・・・仏教では・・・チャクラは、・・・禅は・・・云々と、各流派のことをたくさん述べています。伝える側としては良いことを伝えようと必死でありますが、あまりにも幅が広く、相手は覚えるのも習得するのもできず、逆に忘れていってしまいそうであります。
大事なことは、一つのことをきちんと身につけるためには、しっかり時間を掛けて教えるということです。あまりにもたくさんの流派について、理解させようとしても、いい加減に終わってしまいます。たとえば密教の練習をしようとしても、実際には何十年と修業していかなければ身につかないでしょう。これは道教にしても仏教にしても同じことです。
そこの先生は、なぜ、そんなに教えることができるのでしょうか?
所詮、その人も、他のセミナーなどから聞いたものをまるでコピー機のように、ただ言葉だけの理屈で話しているだけでないでしょうか・・・。
こういうのは、これまで述べてきたような気功の特徴ではありません。総合格闘技のように、「こうパンチを出して、足を上げてキックをする・・・」というように、自分自身が手を出し、足を上げてキックをするといった訓練をしなければ、自分が相手に教えるということはできないでしょう。表面だけの教えや説明といったセミナーなども、タイトルだけ見ただけでは素晴らしい内容にも思えてしまいますが、気功の専門のルールから外れて、気功の修業とは全く違うものであって、そこで習っても何も得られないということになるでしょう。
まぁ、ただ一つ言えることは、口気功師(口だけ達者という意味の)は、たくさん育てられることでしょう。頭だけで理解した、ただ喋るだけの気功師で、「小周天はこうなる・・・」とか、「大周天はこうなる・・・」などと、口だけ話して終わりです。そういうところは、基本的に少林寺気功にしても、他の本物の気功を教えるところからにしても、気功というものを下げてしまう原因になり、大変迷惑なことなのです。
もし、皆さんが気功を習いたい!教わりたい!身につけたい!と思っていらっしゃるなら、正しい道を歩まなければなりません。もし間違ってしまい、何十年経ってから、それが間違っていると気づいたとしたら、もう損をしてしまっただけではなく、人生の無駄になり、とても残念なことになります。
どうぞ、気功による人間性や心の向上には、正しい道を選ぶことが重要であります。